いま考えるべき『涼宮ハルヒの憂鬱』ハルヒダンスでオタクは市民権を獲得できたのか?
画像は『ハレ晴レユカイ』より

 もはやアニメを好むことは特殊でも異端でもなんでもない現在。だが、その昔アニオタは日陰の存在を自認していた。連帯を求めて孤立を恐れず、オタクたちにとってのハルヒダンスとはなんだったのか。

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 従来のアニメになかった『涼宮ハルヒの憂鬱』のムーブメントとして忘れてはならないのは、エンディング曲『ハレ晴レユカイ』に乗せてSOS団の5人が踊る通称“ハルヒダンス”だ。ハルヒダンスを自ら踊った動画をネットに投稿したり、秋葉原の歩行者天国などで大人数で踊る「ダンスオフ」が『ハルヒ』のムーブメントを加熱させたことは間違いない。大規模ダンスオフのように、アニメファンが公の場に集うような機会は、過去にはなかったのだろうか?

 実は『機動戦士ガンダム』の劇場版が公開される直前の1981年2月22日、新宿駅東口のアルタ前広場で開催された「2・22アニメ新世紀宣言大会」と題するイベントに1万5000人ものアニメファンが集まったことがあった。1977年の『宇宙戦艦ヤマト』の映画版公開前夜、計2万人もの徹夜組が並んだことがあったが、これといってプレゼントもなければ映画上映すらない真っ昼間のイベントに1万5000人が集まったことは、若いアニメファン――オタクの市民権を語る意味では看過できない出来事だ。

 だが、アニメ作品は家庭用ビデオデッキの普及によってマニア向けのビデオ専用作品がメインになり、テレビアニメは再び「子供向け」と見なされるようになった。1995年放送の『新世紀エヴァンゲリオン』はオタクを中心にブレイクした久々の作品であり、アニメ研究・評論ブームが到来した。

 評論家の岡田斗司夫氏が東京大学で「オタク文化論ゼミ」を開講するのは『エヴァ』放送の翌年、1996年のこと。90年代のオタクはアルタ前広場のようなパブリックな場ではなく、パソコン通信のフォーラムや専門書籍、大学などのアカデミックな場で市民権を広めていった。

 ところが、ほぼ10年間にわたるアニメ・ブームの後、岡田斗司夫氏はライブハウスでトークショー『オタク・イズ・デッド』を行なった。

「“えっ、いつの間にあの萌えという人たちはオタクの中心になったの?”ということが凄い違和感があって」「萌えのブーム一件以来、なんか違うような風が吹いてきたぞ、変だなあ……。ぶっちゃけて言えば、“え、俺、オタクって頭がいいと思ったんだけど、最近はバカがいるんだ?”っていうですね……。まるで普通の人と同じように、まるで年末はクリスマスだと思ってて、まるでワールドカップはみんなも見ると思ってて、まるで天皇陛下はみんなが好きだと思ってるのと同じぐらいバカがいっぱいいるんだ……というですね、凄いショックだったんですね」(『オタク・イズ・デッド』より)。

 岡田氏はオタクを「普通の人」から疎外された知的エリートという選民思想的な見なし方で規定しており、それゆえに「萌え」だけに走るライトなアニメファン、ゲームファンに幻滅していたようだ。しかし何よりも象徴的なのは、『オタク・イズ・デッド』が『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送中の2006年5月に開催されたことだ。もしかすると、この時期に社会における「オタク」の概念が大きく変容し、層が大きく入れ替わったのではないか?

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