特撮を支える「スーツアクター」という役者の凄さについて【しいはしジャスタウェイの戦隊コラム】
高岩成二さん(左)と、しいはしジャスタウェイさん (写真は著者提供)
全ての写真を見る

 こんにちは、特撮芸人のしいはしジャスタウェイです。仮面ライダーや戦隊ヒーローを演じる「スーツアクター」。今は当たり前に使っている言葉ですが、昔はなんて呼んでいただろう? とふと考えて思い出したんです。自分は「中の人」でした。

 平成ライダー20作品中18作品の主役ライダーを演じたことで「ミスター平成仮面ライダー」とも呼ばれる高岩成二さん。高岩さんが、2007年からスタートした『仮面ライダー電王』で1人で複数ものキャラクターを演じ分けたことが大きな話題を集め、その頃から「スーツアクター」という呼称が世間一般に広まっていった気がします。違ってたらごめんなさい。

 僕は中学生の頃からJAC(ジャパンアクションクラブ。現在はジャパンアクションエンタープライズ)に所属していたのですが、JACに入った理由は、もちろん「中の人」がやりたいからでした。そういうものだと思って入ったら、実は「中の人」志望者はそこまでおらず、周りとの温度差にビックリしたのを覚えています。

 ある日、先輩に「なんでおまえはJACに入ったの?」と聞かれ、「ヒーローや怪人の中に入る仕事がしたくて入りました」と答えたらとても驚かれました。先輩から「それじゃ顔が出ないだろう」と言われ、僕は「いや、顔出したくないじゃないですか」と、まったく意見が合わなかったんです。

 このとき僕が答えた「顔出したくない」は、自分の容姿にコンプレックスがあったことと、マスクを被ってアクションをすることへの憧れから来ています。こんな出来事は何度もあり、同期と話していてもこのズレが生じました。当時15歳で芸能のことなどよく分からない僕は段々と理解していきます。「ああ、ここは俳優事務所なんだ」と。いや気づくの遅っ!ってツッコミたくなりますが、まだ子どもだったんです(笑)。

 僕はJACでは変わり者扱いでした。みんな、真田広之さんや、志穂美悦子さんなどに憧れて入ってきた人ばかりだったんです。

 もちろん当時でも、特撮好きでスーツアクターを演っていた方や、やりがいを見いだし役者志望からスーツアクターへ転向された先輩もいたと思います。けど正直、僕の周りにはいませんでした。今からとても嫌な言い方しますが、当時、僕の周りでは特撮の現場というのは「やりたくない仕事」「仕事がないからいく仕事」と捉えている方が多かったんです。考えてみたら分からなくもないです。そもそも目指してるものが違うから。漫才をやりたくて吉本の門を叩いたのに、舞台では着ぐるみを着てコントやっている、みたいなことですかね。

 けど僕としては、着ぐるみを着てても目の前の人をしっかり"笑わせられたら”、それは"お笑い"であり"芸人"だと思います。それと一緒で、面を被っていてもお芝居で見ている人の心を動かしたら、それは役者ですよね。

 僕は先輩や周りから「変わってんな」とよく言われていました。しかしその後なんと、JACに「キャラクター部」というのが設立されたんです。今の呼び名でいうと「スーツアクター専門部」みたいなことです。入ってきたのはたった4、5人。「え、これだけなの?」と目指してる人が少ないことに驚愕。僕がいる養成部の横でキャラクター部が練習していたので、僕は内心「あっちにいきたいな〜」と思いながら過ごしていたのですが、わずか数か月でキャラクター部がなくなりました。全員辞めちゃったんです。それだけJACの練習やしきたりが厳しかったんですね。

  1. 1
  2. 2
  3. 3