「こんなの適当にウソ書いときゃいいんでしょ!」

「どうせ編集長だって信じちゃいないんじゃないの?」

『奇談』編集会議の席上、ベテラン記者は半笑いでそう言いいながら、同意を求めるように見まわした──。

 創刊号は想定外の売れ行きで、読者や業界関係者からの反応も上々。

「こんな不思議な体験しました」「うちの地元にこんな奇妙なものが……」など情報提供も相次ぎ、その中から「織田信長のデスマスク発見!」「心温まる都市伝説シリーズ」「徳川埋蔵金発掘密着ルポ」などの記事も後に生まれていった。

 さらに、前回のお話のように腕も折れよと手の平返しをする社風なもので(笑)、急遽2号目、3号目まで予算に組み込まれ、しかも第2号は初版10万部という、いま考えても「思い直せ! アタマおかしくなってるぞ」という強気すぎる部数設定。当然、結果は大惨敗で返品の山が積みあがり、起きたままおねしょをするところだった(それはただの失禁です)。

 理由は明白。「創刊号」とは言ったものの、正直、1冊出せれば満足と思っていたので企画はすべて吐き出しており、ストックはゼロ。慌てて企画をかき集め、伝手を辿ってオカルト好きの記者や編集者にも集まってもらっていたが、編集長当人が「これ、オカルト好きの人に刺さるんだろうか?」「ガチ勢の人にバカにされたらどうしよう……」と、愚にもつかない迷走を始めていた。

 続く3号も低空飛行で、編集長も加速をつけて迷走中。こうなると編集会議はイヤ~な空気に染まり出す。そんな中、出てきたのが冒頭のセリフだった。そもそも突貫工事で連続刊行を進めるため助っ人に来て貰ったベテラン記者勢は、もともとオカルトになんの興味もない。当然、他のベテラン記者たちの反応も、ここまではっきり言わないまでも「オカルト……まあ面白いっすよね」という調子だった。

(そういう事じゃないんだよな……)

 と心が折れそうになったものの、当時はネットを中心に都市伝説や怪談・奇談を集めるサイトが人気を集めていた一方、「オカルトに騙されず、娯楽として高みから見物する俺カッコエエ」と斜に構えた見方をする人も少なくなかった。そのため正直なところ、雑誌自体を後者のようなコンセプトにすべきかどうか迷いまくっていた。

 こうなると、結果は予想するまでもない。創刊からたった1年。『週刊大衆ミステリー増刊 奇談』はわずか5号で休刊となった。幻の生物を追うどころか、自らが幻の雑誌となってしまうという悲しい結末を迎えたわけだ。

■休刊から2年後、編集部に1本の電話が…

 四方八方に迷惑をかけたうえ、短命で終わった鬼っ子雑誌『奇談』。しかし、その後も『増刊大衆』や『週刊大衆ヴィーナス』で間借りさせてもらい、「科学ライターが心霊スポットに突撃してみた」など、細々と怪談や都市伝説がらみの記事を続けていた(当時の各誌の編集長が理解のある人たちでたいへん助かりました。感謝!)。
 休刊から2年ほど経ったある日、編集部の電話が鳴った。

「奇談? という雑誌の読者と仰る方から……」

 怪訝そうな声で総務から回ってきた内線を切り替えると、中年男性の声で、

「奇談を読んだんですが、福島原発事故を予言してましたね……」

 と告げられた。予言? マヤ? ジュセリーノ? そんな記事の記憶はないけれど……。だが、よくよく男性の話を聞き該当する記事を見てみると、確かに創刊号の地震予知特集の中で、「地震そのもの以上に恐ろしいのは、沿岸部にある原発が壊滅的な被害を受け、日本全土に放射能汚染が広がること」という内容が盛り込まれていた(ちなみに、担当ライターも私もこのことはすっかり忘れていた)。

 最近も、奇談がwebで復活することを知った当時のライター氏から、「“新型インフルを超える感染症がパンデミックを起こす”って記事、まんま今のコロナのことを予見していたよね」と、これまたすっかり忘れていたことを指摘された(こんなボンヤリ編集長では5号で休刊も止む無しという声も……汗)。

 で、何が言いたいかというと、

「意外ときちんと取材して、いいところ突いていたんです。奇談って」(強調w)

 ということ。もちろん、この雑誌の衣鉢を継ぐ「電脳奇談」も、地を這う取材でこの世の隠された真実(=「オカルト」って本来この意味なんです)を追っていきますので、どうぞご照覧ください(ここから急に丁寧なですます口調になっているなw)。

■とはいえ、なんで今さらオカルト・テーマのwebサイトを?

 最後にひと言。冒頭の記者さんの言葉へのアンサーというか、オカルト雑誌を編集していたと言うと、よく尋ねられる「〇〇が存在するって信じてるんですか?」(〇〇はUFOでもUMAでも先史文明でもOK)という問いへの回答を。

「信じる、信じないじゃない。ただ“あれかし”なのです!」

 この世の中、窮屈だったり、息苦しかったりしませんか? 「正しいこと」「世間が認める常識」が大手を振って、その枠からちょっと外れただけで、よってたかってせせら笑い、石を投げつけ、ネット上で大炎上祭り……そういう傾向がここ10年特に強くなっている気がしませんか?

 そんな常識が支配する、つるんとキレイで整った世界より、「もしかしたらモケーレ・ムベンベがいるかもしれない」、「超古代文明があったかもしれない」、「妖怪、幽霊、精霊がすぐ横にいるかもしれない」、ある意味、でこぼこした世界のほうが、ちょっとだけ息がしやすい気がするんです。

電脳奇談打ち合わせノートより/常識は大事、でもそれだけじゃ息が詰まりますよね
同左/いびつだけど「あるかもしれないゾーン」を仮定するだけで、世界は広く、息がしやすくなる気がしませんか?

 だから『奇談』も今回始まった『電脳奇談』も、UMAやUFO、オーパーツに都市伝説、幽霊、妖怪などなど、「すべての不思議よあれかし」という願いからスタートしたものなのです。

 冒頭の記者氏は「嘘」とも言いましたが、それもピントがズレています。異次元の世界もビッグフットも、あるかないか、いるのかいないのかは、正直わかりません。言ってしまえば、シュレディンガーの猫のように「あるかもしれない世界」と「ないかもしれない世界」が箱の中で重なり合っているようなもの。

 それを「嘘松乙!」の一言で斬って捨てるのは傲慢と言うか、どうにも窮屈な考え方。そうではなく、わたしたち電脳奇談編集部が求めているのは、「あるかもしれない世界」を、精緻に論拠を積み重ねて描き出した物語(仮説)なのです。

 もちろん、その「箱」を開けてみる機会は結局、訪れないのかもしれませんが、箱の中に「隠された真実(=オカルト)」に思いを馳せる自由さ、ほ~と一息つく瞬間を読者の皆さんとも一緒に楽しめたらと願っています。