■10年後の心霊スポット。そこで「龍神結界」の恐るべき力を目の当たりに……(SIDE・B/2021年4月)

 H海岸の取材を終え、記事をまとめていた時、東北太平洋沖地震が起きた。九十九里沿岸も津波が襲い、北部の旭市を中心に甚大な被害をもたらしたのだ。状況が掴めぬまま、3月末発売号で記事を掲載。H海岸は、そして龍神の結界はどうなったのか、宿題を残したまま10年が過ぎてしまった──。

●津波は人の記憶も心霊スポットも押し流した

 Webで奇談が復活するのを機に、宿題を果たしに現場へと向かった。まずはH海岸へ。現在地の海抜表示や津波の避難経路を示す案内図が至るところに掲示された街中を抜け、県道脇に車を停める。

 基部に八大龍王の名が記された龍神の鳥居は健在。その前を通り過ぎ浜へと向かう小道をゆく。波乗り道路の下をくぐる隧道を抜けると、景色が一変していた。

 浜へと向かう階段だった場所は完全に砂に埋もれ、足を取られつつそこを上ると、草が生い茂っていた小山もすべて砂に埋まっていた。それほど大量の砂が津波で運ばれてきたのだろう。

 そして、あれだけ林立していた卒塔婆もほぼ消えていた。誰かが立て直したのか、辛うじて1本だけが残っていたが、10年の月日に晒されて文字はほとんど判別できない。もはやここが心霊スポットと騒がれた場所だと言っても、誰も信じないだろう。それぐらい、不穏な空気も感じ取れなくなっていた。

 県道まで戻り、目の前の畑にいた地元の方に話を聞くと、

「片貝漁港のあたりは津波で大変だったらしいけど、この辺はそうでもなかったな。何? 心霊スポット? 龍神様の祟り? あ~昔そんなこともあったかな……」

 津波の記憶は10年経った今も鮮明だが、事件や心霊スポットとして騒がれたことは、もはや地元でも風化してしまったようだ。

●東日本大震災の奇跡。龍神の結界は今も生きていた!

 ただ彼の話から、もうひとつの宿題だった“みょうみょう”の正体がわかった。正確には「みお(澪とも水脈とも書くそうだ)」といい、今の言葉で言えば離岸流。岸から沖へと向かう強い流れで、しかも「みお」のある場所は急に深くなるため、一気に足を取られ押し流されてしまうのだという。

 さらに東京へ戻り調べてみると、九十九里周辺では江戸時代から「みお」の目印として、神社仏閣や鳥居などを建てる風習があったという。H海岸をはじめ海岸に沿って建てられた龍神の祠も、この「みお」の目印として建てられたものかもしれない。つまり、海の魔処/難所から集落の人々を守る結界として張られたものだったのだろう。

 ちなみに、九十九里一帯は江戸時代に紀州(現在の和歌山県)から多くの漁民が移住したとされる。名物の地引網もこの時、紀州から持ち込まれたという。そして実は、八大龍王の名を冠した神社は、この紀州の沿岸部に今も残っているのだ。つまり、海からの災厄を防ぐ龍神の結界という信仰もまた、紀州から持ち込まれたものと考えられるのだ。

 読者の皆さんの中には、「海岸沿いの集落にそんな信仰があってもおかしくはないだろう」と、単に古くからある信仰に過ぎないとお考えの方もいるかもしれない。しかし、ここで1枚の画像を見てほしい。

千葉県発表「東日本大震災記録誌」より引用  https://www.pref.chiba.lg.jp/bousaik/jishin/kirokusi/kirokusi.html

 これは千葉県が発表した東日本大震災の津波被害図なのだが、九十九里一帯が津波被害を受ける中で(青色で示されている部分)、この龍神の結界が張られた大網白里町~白子町~長生町一帯(茶色と白で示されている部分)が、建物倒壊や床上浸水などの津波被害が出ていないのだ。

 果たして、これは単なる偶然なのだろうか……? それとも、龍神の結界の見えざる力が、この地を守ったのだろうか……?