2002年日韓大会のマスコット
2002年日韓大会のマスコット。さて、名前はなんだっけ…
サッカーは無数のディテールであふれている。重箱の隅をつつくような、コーナーエリアを巡る連載コラム。今回は、ワールドカップのマスコットたちの歴史をその源流まで振り返り、さらに、それぞれの行末までをたどった。まさに超マニアック!

 FIFAワールドカップ2002年日本/韓国大会の公式マスコットを覚えている人がいるだろうか。3体の奇妙な生き物の姿を思い浮かべられる人はいても、「ではその3人の名前は?」と問われたら、1000人にひとりも答えられないのではないだろうか。

 あの奇妙なマスコットは本当に不評だった。いや不評という以前に、まったく関心をもたれなかった。日本のものでも韓国のものでもなく、大気のエネルギーの粒子が何とやらとか、誰かが監督で他のふたりは選手などとストーリーづけされていたが、「アトー」「ニック」「キャズ」という名前を聞いても、黄色、水色、紫色のどれが誰なのか、クイズにそこまで含めたら、「1万人にひとり」になってしまいそうだ。

 ワールドカップの公式マスコット、誕生は1966年のイングランド大会にさかのぼる。「ウィリー」と名づけられたライオンである。ウィリーくんはあちこちに現れては人気になったが、惜しいことに「大会で最も有名な動物」にはなりそこなった。「ピクルス」という名の白黒ぶちの雑種犬のせいだ。

1966年イングランド大会。史上初のマスコット、ウィリーくん
1966年イングランド大会。史上初のマスコット、ウィリーくん

 大会前に、展示してあった「ジュール・リメ杯」(当時のワールドカップ優勝トロフィー)が盗まれるという大事件があった。1週間後、盗まれた都心のホールから10キロも離れたロンドン南郊の住宅街の植え込みの下から発見したのが、この4歳の犬だった。彼はたちまちヒーローとなり、賞金とドッグフード1年分の副賞も得た。映画やテレビドラマで主役やゲストを務めた。ピクルス人気の陰で、ユニオンジャックのシャツを着た赤毛ライオンのウィリー君は顔色を失ったという。

 続く1970年メキシコ大会では、一転して「フアニート」くんという少年がマスコットになった。メキシコのトレードマークであるソンブレロをかぶり、メキシコ代表の緑のユニホームからおへそがはみ出しているのが愛嬌だった。1974年西ドイツ大会も少年。だが今回は2人組。「チップとタップ」は、当時の西ドイツと同様、やや田舎くさかった。

1970年メキシコ大会。ソンブレロをかぶったフアニートくん
1970年メキシコ大会。ソンブレロをかぶったフアニートくん
1974年西ドイツ大会は、アディダスを履いた二人組
1974年西ドイツ大会は、アディダスを履いた二人組

 

 「少年マスコットの時代」が続く。1978年アルゼンチン大会はガウチョ姿の「ガウチート」。そのかわいい顔を見て、私は、当時日本のテレビで「天気予報と言えば……」の「ヤン坊マー坊」のパクリに違いないと確信した。

1978年アルゼンチン大会は、プーマを履いたガウチートくん
1978年アルゼンチン大会は、プーマを履いたガウチートくん
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