「Jのレアル出身選手」ドリアン・バブンスキーの肖像(1)「レアル・マドリーのカンテラ、その意味と重み」の画像
©FC町田ゼルビア
全ての写真を見る
 現在、FC町田ゼルビアでプレーするドリアン・バブンスキーが日本に渡り、3年が経過しようとしている。プロサッカー選手の父と兄を持ち、まさに「サッカー一家」の一人として、ドリアンもプロの世界に飛び込んだ。

 そんなドリアンはフットボーラーとして流浪の人生を歩んでいる。北マケドニア共和国出身のバブンスキーは早い段階から大型ストライカーとして頭角を現し、2011年にレアル・マドリーのカンテラに入団。2015年までマドリーのカンテラで過ごした後、2部B(スペイン3部)のフエンラブラダで戦い、スロベニア、日本と多様な文化とプレースタイルを吸収しながらキャリアを積み上げてきた。今回のインタビューでは、スペイン、スロベニア、日本という3カ国について、また各国のサッカーについて、彼の興味深い言葉が紡がれている。

――実は、バブンスキー選手がレアル・マドリーのカンテラにいた頃、サラゴサのトーナメントであなたを見たことがあります。

「本当に? あぁ、カサ・ブランカ(という名前)のトーナメントかな。そうだね。あの大会には出場していたよ」

「あの頃は、将来、日本に行くとは想像もしていなかったね。もちろん、父(ガンバ大阪でプレーしたボバン・バブンスキー)が日本でプレーしていたので、日本のことは知っていたし、いつも父は日本での素晴らしい経験を僕に語ってくれていた。でも、人生においては、時に予期せぬ道が現れる。そういう状況に合わせていくのは大切なことで、僕は常に自分の幸せというのは何かを考えて選択をしているんだ」

ー―まずは、そのレアル・マドリーのカンテラ時代について聞かせてください。ボルハ・マジョラル(現レバンテ)、アレイクス・フェバス(マジョルカ)、アクラフ・ハキミ(ボルシア・ドルトムント)といった選手たちと同世代だと思いますが、当時のチームやチームメートの印象はいかがでしたか?

「ボルハとフェバスはチームメートだったけど、ハキミは1つか2つ年下だったから、同じチームではプレーしていないんだ。下から上がってきて、何度か一緒に練習はしたけれどね」

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2
  3. 3