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田嶋幸三日本サッカー協会会長 写真:サッカー批評編集部
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 新型コロナウイルスは終息の兆しを見せたかと思われたが、東京都では連日のように感染者が三桁を超えている。そんなコロナにサッカー界で初めて感染したのが、誰あろう田嶋幸三日本サッカー協会会長だった。海外を飛び回っての会議の連続で感染したのかもしれないが、無事4月2日に退院している。そして田嶋会長は職務に復帰するやいなや、コロナで休業を余儀なくされている街のクラブに救いの手を差し伸べたのである。

(取材・文 六川亨)

■実際にコロナを発症して感じたこと

――本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、田嶋会長の故郷でもある熊本県は集中豪雨で大変なことになってますね。

 家(実家)は島なので何とか大丈夫なんですけど、人吉は盆地なので水に浸かってしまった。盆地があり、川(球磨川)に囲まれていて、その盆地を抜けるところの下流がボトルネックみたいになっているんです。そこに一気に水が集中して人吉の街全体に被害がでました。

ーーかなり深刻なようですね。

 深刻ですね。50~60人の方が亡くなられて大変な被害です。亡くなられた方には謹んでお悔やみを申し上げます。ただ今までに経験したことのない豪雨ですし、今後も日本各地で注意が必要でしょう。新型コロナも含めて皆さんも是非気をつけて欲しいと思います。

――さて、田嶋会長がコロナを発症したのは3月14日です。その後17日に入院して最初に考えたことはなんだったのでしょう。

 14日に発症し、ご存じのように14日はサッカー協会の理事会があって、そこで会長の候補者として決まり、ちょっと「ホッ」として寒気がしているなと思っていたんですね。その当日の夜にセルビアやスイスの会長さんたちが感染したという報道が世界中に流れて、16日の日に自分は保健所に相談し、そして陽性反応が出て入院したわけです。

 そこでまず最初に思ったのは、「人にうつしていなければいいな」ということでした。まずは人にうつさなければいいなと思ったことと、JFA(日本サッカー協会)がクラスターになっていなければいいな――「クラスターにならないように」と思いました。

――家族のことは気になりませんでしたか。

 もちろん家族のことも次に考えました。一番濃厚接触をしていたのは家族だったので、幸い2月の27日からJFAは在宅勤務にしていたんですよ。だから私は3月8日にイギリス、オランダ、そしてアメリカと出張が終わって帰ってきて、協会に来たときにはもう誰もいなかったんですよね。だからクラスターにならなかったのかもしれませんし、そういう意味では家族というのは、その次に来る心配でした。家族も心配だったんですけれど、やっぱり人様にうつしてしまうのは凄く嫌だなと感じていたので、それを思いました。

 もちろん家族のことも、特に義母は86歳ですが、ただその当時、歳を取った方のほうがリスクも高いとか、そういう情報すら無かったんですよ。私がなったのは凄く早かった。初期段階で、例えば嗅覚が効かないなんて当時は全然気が付きませんでした。そういう意味では非常に早い段階で、情報も少ないなかで感染したので、とにかく「うつさなければいいな」と、そのことばかり考えていました。

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