後藤健生の「蹴球放浪記」連載第22回「北京発済南行便欠航大災難」の巻の画像
アジアカップのADカード 提供:後藤健生
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中華人民共和国で開催されたAFCアジアカップ2004、日本はグループステージから決勝まで、国歌演奏時や試合中に激しいブーイングを受け続けた。日本代表が戦った北京、重慶、済南に東京を加えた優勝までの長い長い旅路に、今回も頓智を駆使して挑むのだった。

■重慶→北京→東京→済南

 飛行機の欠航で大変だったのは2004年のアジアカップの時でした。

 中国での、「反日ブーイング」で有名になった大会です。小泉純一郎首相の靖国神社参拝で反日感情が高まっていた時期で、しかも日本がグループリーグを戦った重慶は1930年代に日本軍が無差別爆撃を行って大きな被害を出した街だったのでとくに反日感情が強く、試合前の「君が代」に対してブーイングを浴びせかけられました。

 この大会、僕は重慶でグループリーグの2試合を見た後、いったん帰国しました。父親の「納骨」があったからです。父はこの年の6月に亡くなったんですが、僕はEURO観戦のためにポルトガルに出発したばかりで葬儀には出席していなかったので、「納骨」には出ないといけません……よね、いくらなんでも。

 それで、7月24日のタイ戦の翌日に北京に移動して中国対カタールを観戦。26日に帰国して27日の「納骨」を済ませ、28日のイラン戦と31日の準々決勝は自宅でテレビ観戦してから再び中国に渡って準決勝と決勝を見ることにしました。すぐに中国に戻らなかったのは、東京でオシム監督のジェフ市原がレアル・マドリードに挑戦する試合(新人DFの水本裕貴がルイス・フィーゴをマークしてました)やアテネ・オリンピックを控えたU23日本代表とベネズエラのフル代表の親善試合(4対0で日本が快勝)を見たかったからです。

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