後藤健生の「蹴球放浪記」連載第28回「“欧州最後の秘境”ベラルーシ入国記」の巻の画像
ベラルーシのビザ。入国スタンプなどはなし。 提供:後藤健生
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入国審査が厳しいと評判のベラルーシ共和国へ、サッカー旅を敢行する機会がやってきた。この千載一遇のチャンスを逃す後藤さんではない。準備万端整えて、どんな困難が待ち受けているかと期待しながらミンスク空港に降り立ったのだった――。

■ベラルーシ共和国へ、再び

 前回は、1974年にソ連とポーランドの国境を越えた時の話でした。

 ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)というのは15の共和国によって構成される連邦国家で、各共和国には連邦から離脱する権利があったのですが、誰もがそれは名目的なものだとばかり思っていました。しかし、ソ連は1991年の12月に実際に崩壊して15の共和国は独立してしまったのです(ちなみに、アメリカ合衆国も連邦国家ですから、各州は離脱する権利を持っています)。

 1974年に僕が越えた国境というのは、その15の共和国の1つ「白ロシア共和国」とポーランドの国境だったのです。最近、大統領選挙の不正を巡って大問題になっている、あのベラルーシです。ベラルーシは民族的にロシアとも近く、問題児のアレクサンドル・ルカシェンコ大統領はロシアとの連邦を復活させて、その連邦の大統領になろうと目論んでいた時期もあると言われています。

 6月7日の未明に列車の窓から駅名標示を見て「ああ、ミンスクだ」と思った僕は、同時に「白ロシア共和国の首都かぁ。こんな所にやって来ることなど二度とないだろうな」とも思ったものでした。

 実際、ベラルーシは独立後も入国しにくい国として有名でした。

 ベラルーシにはビザがなくては入れませんでした(今は、日本のパスポートを持っていればビザなしで30日間滞在できます)。通過もできなかったんです。

 たとえば、ワルシャワからモスクワまで列車で行こうと思ってうっかりビザなしでベラルーシ経由の列車に乗ると、国境で追い返されてしまうのです(ウクライナ経由の路線なら大丈夫です)。しかも、ビザ申請手続きはかなり難しかったのです。そのため、ベラルーシは「ヨーロッパ最後の秘境」などと呼ばれていました。

 そんなベラルーシに行く機会が、39年後に巡ってきました。2013年10月にアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表がセルビアとベラルーシに遠征をすることになったのです。

「秘境」に入れるチャンスです。これは、行くっきゃないでしょう!

 早速、アエロフロート・ロシア航空でチケットを購入しました。モスクワ経由でセルビアのベオグラードまで行き、一度モスクワに戻って、そこからミンスクに向かいます。

 日本サッカー協会が現地の協会を通して手続きもしてくれますから、ベラルーシのビザも簡単に取得できました。

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