「中村憲剛 神が宿る右足」(1)驚くべき「2010年4月」の2試合の画像
中村憲剛 撮影/中地拓也

小学生のころの写真を雑誌で見たが、これがサッカー小僧だという顔で笑い、サッカーが好きで好きでたまらないと全身が物語っていた。40歳になった中村憲剛は、そのプレーでサッカーは最高だと観客に訴えかけてくる。それが今シーズンで引退だなんて、寂しくてたまらないじゃないか。あの右足がもっと見たい。

■その選手がボールに触れるたびに――

 サッカーとは、「混沌」のなかから「秩序」を生み出していくゲームである。

 11人対11人の2チーム。動かないのは、それぞれが守り、また攻める2個のゴールと、縦105メートル×横68メートルのピッチだけ。1個のボールを奪い合いながら、選手たちは相手のゴールに行き着く道を切り開くべく右往左往する。それを制御するため、監督たちは「システム」という「大枠」を選手たちに示し、日々のトレーニングのなかでいかに個々の動きを組織化し、タイミングを合わせ、秩序化するか、そしてそれを相手が妨害する試合のなかでいかに発揮できるようにするのかに腐心する。

 だがその一方で、ごく希に、サッカーというゲームは、たったひとりで試合のなかに驚くべき秩序をもたらし、まるで周到に計画・準備された芝居であるかのような劇的なプレーを演出する「個」の存在を許容する。その選手がボールに触れるたびに、サッカーは生命を吹き込まれ、周囲の選手たちはエネルギーを増幅させ、目の覚めるようなコンビネーションプレーを生み出して、観客にエクスタシーに似た快感を覚えさせる。

 中村憲剛は、そうした希有な選手のひとりだ。

 2010年4月、私は中村(と書くと、何か読者の脳裏に浮かぶイメージを損なってしまいそうに思うのは私だけだろうか。私は彼と個人的に親しいというわけではないので少し申し訳ないのだが、以後は「憲剛」と書かせてもらうことにする)の右足に「神が降臨した」と感じた。

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