「中村憲剛 神が宿る右足」(3) 「あと10年はできる」頭脳の進化の画像
中村憲剛 撮影/中地拓也

※第2回はこちらから

小学生のころの写真を雑誌で見たが、これがサッカー小僧だという顔で笑い、サッカーが好きで好きでたまらないと全身が物語っていた。40歳になった中村憲剛は、そのプレーでサッカーは最高だと観客に訴えかけてくる。それが今シーズンで引退だなんて、寂しくてたまらないじゃないか。あの右足がもっと見たい。

■出遅れてしまったワールドカップ

 常にスタート地点で大幅に遅れているのが、中村憲剛というサッカー選手の大きな特徴と言えるかもしれない。だがいちど舞台に立つと、憲剛はたちまちその天才ぶりを発揮する。年ごとに力をつけていく川崎の中心選手として、「黄金世代」に負けないほどの注目を集めるようになるには、そう長い時間を要さなかった。そして2006年秋、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任すると、憲剛は日本代表に招集され、中心的なメンバーになっていく。26歳近くになっての日本代表デビュー。ここでも、憲剛は出遅れていた。だがそれが憲剛にとっては当たり前だった。

 オシムが病に倒れ、岡田武史が仕事を継いだ後も、憲剛はコンスタントに日本代表に招集され、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会出場を決めたウズベキスタンとのアウェーゲームでは見事なスルーパスで岡崎慎司を抜け出させ、決勝点を決めさせている。だが迎えた南アフリカ大会、岡田監督はまず守備を安定させる戦いをすることを選択、中盤に「アンカー」として阿部勇樹を入れたことで、憲剛は出番を失う。

 日本がカメルーンを破り、デンマークに快勝し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たす間、憲剛はずっと試合をベンチで見つめなければならなかった。岡田監督がようやく憲剛をピッチに送り出したのは、0-0で迎えたラウンド16のパラグアイ戦の後半36分。勝つために攻撃的にしなければならない状況だった。ここでもまた、憲剛は「出遅れ」ていた。

 だがピッチにはいるとすぐ、憲剛は左サイドの長友に見事なスルーパスを出し、チャンスをつくりだす。延長戦にはいっても、憲剛がボールを受け、パスを出すたびにチャンスが生まれる。まさに「神が君臨した」憲剛にリードされ、日本は「ワールドカップベスト8」への手掛かりをつかんだかのように見えた。だが「守備の文化をもった国」パラグアイの必死の守備の前に得点を生むことはできず、試合は0-0のまま終わり、日本はPK戦で涙をのむ。

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