大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 第35回「『弟』は好き放題」の画像
イングランド代表が1966年ワールドカップ決勝で着用した「赤」のユニホーム(National Football Museumで) 提供/大住良之
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第2ユニホ-ムは、好き放題に生きている「弟」みたいな存在だと大住さんは言うのだ。サッカーの歴史をひも解いて、豊富な知識から自在気ままに引用しつつ、責任があって伝統を守る第一ユニは長男で、次男は気ままに、ちょっとワルく生きているみたいだと――。

日本代表は百年近く青かった

 日本サッカー協会は日本代表に「SAMURAI BLUE」というニックネームをつけ、縦書きの文章では「サムライブルー」と片仮名で表記しているが、一向に普及する気配がない。文字数が多いからというわけでもないようだ。「なでしこジャパン」のほうが8文字で1文字多いのだが、こちらは字数に制限のある新聞記事のなかでも平気で使われている。やはり「日本代表」があまりに定着しすぎてしまったせいだろう。

 さて、「サムライブルー」だから、当然、ユニホームは「青」である。1989年から1991年にかけて、日本代表の第1ユニホームが「赤」になったことはあったが、100年に近くなる日本代表の歴史の大半、正式な第1ユニホームは「青」だった。国際サッカー連盟には代表チームのユニホームカラーが登録されているが、もちろん「青」である。ただし、そもそもなぜ「青」になったのか、諸説あってまだ確定されていない。

 だが、歴史的には、第2ユニホームである「白」が好んで着られたこともあった。1960年代は、日本代表(当時はみんな「全日本」と呼んでいた)といえば「白」のイメージだった。1964年東京オリンピックも、1968年メキシコ・オリンピックも、日本は全試合を「白」で戦った。駒沢競技場でアルゼンチンに3-2で逆転勝ちした歴史的な試合は上から下まで白だったし、アステカ・スタジアムでメキシコを2-0で下し、銅メダルを獲得した試合は、白シャツ、紺パンツ、そして白ストッキングという配色だった。日本代表が本来のカラーである「青」を主に着るようになるのは、1970年代にはいってからのことだ。

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