大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第53回「サッカー記者の50年(石器時代から現代へ)」(2) 「10人中8人が使っていた名機」と「ブラジルでの原稿用紙不足」の画像
2018年ワールドカップ・ロシア大会の私の記者席。パソコンは各デスクに完備されたLANケーブルでインターネットに常時接続され、原稿を送ることだけでなく、情報を検索することも自在となった。しかもインターネット使用料は無料である。(c)Y.Osumi
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※第1回はこちらより

ガー・ピー、ヒョロヒョロ。パソコンのスピーカーからこの音が聞こえてくると、これで無事に原稿を送ることができると、心の底からホッとしたものだ。サッカーを報道するために必要なのは、最先端の機材とそれを使いこなす知識と技術。終わることのない追いかけっこなのである。進化の波に乗り遅れるな!

■海外取材で原稿用紙が足りなくなった

 当時、川上宗薫という「官能小説」の大家がいた。彼は「1日に100枚(4万字!)の原稿をこなす」と言われていた。私のペースなら、60時間分の仕事ということになる。もっとも川上先生は自分では原稿用紙には向かわず、テープに録音したものを弟子たちが原稿用紙に書いていたらしい。

 また脱線してしまった。長期の海外出張には、200字詰め100枚の原稿用紙をひと抱えもっていくのだが、ともすると足りなくなる。香港で足りなくなったときには、「漢字文化の国。文房具屋にあるに違いない」と探したら、やはり見つかった。ひとマスが小さく、1枚で800字もはいるものだったが、航空貨物で送らなければならないことを考えると、軽くなってかえってよかった。

 しかしブラジルで原稿用紙が足りなくなったときには往生した。仕方なく自分でつくることにした。白い紙を買ってきて、荷物のなかに入れてあったカーボン紙を使い、20字×10行の線を引き、いちどに5枚ずつつくった。「石器時代」を知らない読者のために言っておくが、当時は「コピー機」などは普及していない。書類の写しをつくるためには、カーボン紙をはさんで書くしかなかったのだ。

 帰国してから気づいたのだが、こんなことをしなくても、黒いボールペンを使って1枚原稿用紙をつくり、その上に白い紙を載せて書けば、1枚につき直線を32本も書く手間は不要だったし、原稿を受け取ったほうも格段に読みやすかったはずだ。だが後の祭り。よくあることだが、以後、海外で原稿用紙不足に陥ることはなかった。原稿用紙不足になったことの教訓は、「もっと多くの原稿用紙をスーツケースのなかに入れる」ことだったからだ。

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