Naha16.1

文と写真・藤井誠二 

 

5月16  [SUN]  

Naha16.2

 飛行機の中でリスペクトする岩瀬達哉さんの新刊『キツネ目』(講談社)を読了。当時の捜査員の中枢にまで話を聞き出すちからというか、粘着力がすごい。事件が起きたのは1984年だからぼくが高校を卒業した年。ものすごい執念で12年間取材を継続してきた。岩瀬さんは一貫して「週刊現代」でこの事件を書き続けてきたのだが、最終回で、ある関西在住の作家を真犯人だと断定 ━仮名にしたものの━ 作家は激怒して他誌に反論を書き、講談社から版権を引き上げ、裁判に訴えた。最高裁まで争い、一審と二審を最高裁は支持し、作家の「冤罪」は晴れたわけだが、その事実について一行も触れていないことだ。じつはそのことをどう総括するのか期待して読み進めたが、残念だった。それとも最高裁判決を受けて、作家との間に「蒸し返さない」という暗黙の了解が取り交わされていたのだろうか。

 入管難民法改正案が成立が断念された。入管に収容されていたスリランカ人女性の死亡を受け、入管の体質の非人道的体質が明らかになった。改正案の一層、外国人を犯罪者扱いする内容に反対する世論は大きくなった。

 河野太郎沖縄相が、先日、沖縄の日本復帰(1972年5月15日)49年を前に行なった記者会見で、沖縄の「子どもの貧困」に言及、若年妊娠・出産について触れ、「いかに若い人の妊娠率を下げるか、母子家庭の発生を抑えるか」と自分の言葉で語った。たしかに若年妊娠・出産にともなう大人たちの役割、何より本人が背負う仕事は増える。しかし、それらを「自己責任」として、つまり、否定すべきものとしてだけ認識し、背景にある家庭等の構造、国や行政の責任についての思いが感じられない。若年妊娠を「悪」として認識しているのだろう。単身で貧困に陥ることなく子育てできる仕組みをつくる「公助」こそ大事で、河野沖縄相の認識は誤っている。子どもを抱えて学校に行ける社会は遠いのか。そんなことを主張している本でも読んで感化されたのか。

 引きこもりの若者等を支援するNPO「ククル」に行き、ジャーナリストの二木啓孝さんと交えて打ち合わせ。というのは二木さんは休眠中の「世界書院」を買い取り、新しく出版社を始めたのだ。編集を担うのは魚住昭さんの息子さんだそうだ。「ククル」で出す本の発売元を引き受けてもらうことになったのだ。新「世界書院」から出すある共著本の原稿も二木さんから依頼されている。終わったあと、「ククル」本プロジェクト主要メンバーの金城隆一さんと今木ともこさん、深谷慎平君と二木さんで、市場通りの「米仙」へ。また「米仙」通いが始まりそうだ。この日記に「米仙」が登場しまくるので、読んでもらうために初めてマスターの名前を聞いてラインを交換した。

 栄町でスナックへ行き、一時間ぐらいだらだらと20度の泡盛をちびちびやりながら、70歳すぎの女性と話す。二木さんと一歳違い。バツいちで子どもは成人したので、いまは実母と二人で暮らしているという。その日常生活の話がおもしろい。そのあと栄町の「おとん」に行ったが閉店の20時に間に合わなかった。池田哲也さんがあとかたづけをしていた。「おとん」から目と鼻の先の栄町市場場内に、20代の写真家の普久原朝日さんが那覇市議選に立候補するための事務所開きを遅くまでしていた。彼を応援している石垣綾音さんや島袋寛之さんもいたので、いろいろ話す。

 

5月17  [MON]  

Naha16.3

 拙宅にこもりきりで仕事をする。来週発売の『沖縄アンダーグラウンド ━売春街を生きた者たち』の集英社文庫版の見本が届いた。二万字を加筆した。

 7月にも文庫本が出る。2018年に出した『黙秘の壁 ━名古屋・漫画喫茶従業員はなぜ死んだか』を潮文庫に入れてもらう。その文庫本のゲラのアカ入れに集中。集中力に欠けるぼくを褒めてやりたい。親本に加えて大幅に加筆。ゲラを読み返していて、自分でも引き込まれるというか、ああ、こんな取材をしていたんだなあという感慨めいたものにふけりながら、夜がふけ、気づけば日付をまたいでいた。

 

5月18  [TUE]   

Naha16.4

 午前中は仕事をして、昼にジャン松元さんと合流。沖縄県精神保健福祉連合会の某所にある作業所へ。同会の高橋年男さんと山田圭吾さんに取材。原義和監督の「夜明け前のうた」を広く紹介するために、関係者に会っていく。「私宅監置」というおぞましい制度が生きていた時代を追ったこの映画はぜひたくさんの方に観てほしいと思う。

 原義和さんの著書『消された精神障害者 ━「私宅監置」の闇を照らす犠牲者の眼差し』から引用すると、

 [私宅監置は、自宅の裏座(家の内側で物置などに使われた場所)や敷地内の頃などに、精神障害者を閉じ込めた措置のこと。

 一九〇〇年に清邸された精神病者監護法に基づき、警察や保健所に届け出て行なわれた。幻覚妄想などの症状でいわゆる"異常行動"を取ってしまう人が、強制的に隔離された。主な目的は、治安維持など社会防衛だった。各地で野放しに行なわれていた隔離を、届出を義務づけ、公的に把握することで、悪質な隔離監禁を防ぐ狙いもあった。(中略)

 私宅監置が廃止されたのは、それから三〇年以上が経った、敗戦後の一九五〇年のこと。精神衛生法の制定によってである。

 しかし、サンフランシスコ講和条約で日本から切り離された沖縄では事情が異なり、私宅監置の制度がそのまま残った。日本本土から遅れること一〇年、一九六〇年に琉球精神衛生法が制定されたが、私宅監置は廃止されなかった。]

 今日は京都から仲村清司さんが来る曜日なので、夕刻に合流して浮島通りの「コション」でセンベロとんかつを喰う。池田哲也さん、森本浩平さんと普久原朝充君も合流。そういえば、来る前に、ライターのカベルナリア吉田さんと初邂逅。少し立ち話。彼は同じ歳なのだが、がっちりした精悍な体格を維持しているのはすごい。

 

5月19  [WED]  

Naha16.5

 家の前の道路で子猫が轢かれたらしく、頭から血を流して死んでいた。ジャン松元さんと合流して読谷村へ。ある人をある媒体に書くために取材&撮影するため。「オーガニック・リーフ」でまずインタビュー。恩納村で創作活動をしているメグ・ワゾウスキーというアーティストのヒョウをモチーフにしたピンバッヂを買う。金武町まで移動して、その人をキャンプ・ハンセンに付随するようにバーなどが立ち並ぶ「特飲街」で撮影。ジャンさんは金武の生まれなので、懐かしがっていた。営業はしていないようだったが、母親といっしょに行ったことがある店もまだ数軒残っていた。一軒の米兵相手のバー ━こちらも今は営業していなようだったが━ の壁に「千夜一夜物語」を想起させる絵が描いてあった。ジャンさんが言うには、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争のたびに、アメリカが戦う相手国の「絵」に書き換えられていたのだそう。「金武タコ」でタコスを食べて休憩。次は県立公文書館へ行き、その人が調べ物をする様子を撮影。そして、小禄へ。その人の祖父(米軍軍属)と祖母(沖縄出身)が出会った街だ。いまは航空自衛隊の基地となっているが、かつてはもっと広大な米軍基地だった。移動中にもインタビューを続ける。取材を終え、ぼくは宜野湾の食堂でレバニラ定食を食べる。よく看板を見かける食堂。残念ながら不味かったが、完食。今日の新聞によれば、沖縄の新型コロナ感染は過去最多の168人。

 

5月20  [THU]  

Naha16.6 

 昨日に続いて朝九時にジャン松元さんと合流。場所は明かせないが、北部方面へひた走る。「夜明け前のうた」をつくった原義和監督と、沖副連の山田圭吾さんと現地で合流。「私宅監置」の建物が沖縄で唯一残されている場所へ案内してもらった。鬱蒼とした木々の中にそれはあった。道路からは見えない。母屋も使われていない。鉄製の扉が朽ちて外れていた。コンクリートブロックで作られた二畳ほどの広さ。ここに閉じ込めたら病気はさらに悪化するか、健康状態を害して死んでしまうだろう。建物に触るとぞっとした。じっさいに幽閉されたまま多くの人が歴史から「消される」ように亡くなっている。

 「私宅監置」とはさきに説明したが、1900年に作られた法律で、地域の「精神病者」を馬小屋以下の小屋に閉じ込めておくことを定めた、信じられない制度だ。糞尿にはそのまま垂れ流し状態に、当時、調査をした精神科医はすさまじい異臭がしたと記録しており、牛や馬以下の扱いを受けていた歴史があったことに慄然とする。沖縄は県史を始め市史、町史、村史、字史などを数多く出しているところだが、この「私宅監置」について触れているものはないという。まさに顔も名前も消されてしまった人々の群れがいるのである。

 

5月21  [FRI]  

Naha16.7 

 午前中にジャン松元さんと合流してまた北部方面へ。かつて「私宅監置」の申請手続きに行政の立場で関わった経験を持つ人のお宅にうかがい、インタビューさせてもらう。

 那覇に戻って、「陶 よかりよ」に寄り、『高田渡の視線の先 ━写真擬(もどき)1972-1979』という本があることを主の八谷明彦さんに教えてもらい ━後日、ジュンク堂でさがしてもなかったので━ ネットで注文。その本は、写真を本人が撮り、文章を息子の高田蓮さんが書いている。阿部誠さんという1971年生まれの茨城県笠間で作陶をおこなっている方の作品を購入。帰りに一人で「米仙」へ。ちょうど店を開けたところで、一番客。カウンターでセンベロ寿司をつまみながら、酒を飲む。

 

5月22  [SAT]  

Naha16.8 

 崇元寺のガジュマルの巨大な古木の下で、お笑い芸能事務所FECの山城智二さんと、所属している「護得久栄昇」ことハンサム金城さんと合流。ここで護得久栄昇さんの撮影ではなく、山城さんをメインにした撮影。護得久栄昇さんにも「協力」してもらう。ジャン松元さんとぼくは30分前に来て、セッティング。雨降らないでよかった。2022年1月に琉球新報社から刊行予定のジャンさんとぼくの共著本『沖縄ひとモノガタリ』に掲載する。

 ジュンク堂一階のカフェでコーヒーを飲み、森本浩平店長と少しゆんたくしたあと、いったん帰宅して仕事と洗濯。夕方からノンフィクションライターの安田浩一さんのトークを聞くために、再びジュンク堂へ。安田さんとは二年ぶりかな。ぼくが脳卒中を患ったあと、普通の生活の中で「リハビリ」をしていたとき、安田さんと東京のB&Bでトークライブをやる予定だったのだが、安田さんがぼくの体調を気遣ってくれて、延期にしたっけ。ジュンク堂のトークが終ったあと、安田さんらと、またしても「米仙」へ歩いていった。店はだいたいどこも20時までなので、近くの友人の家でかるく飲む。浮島通りを歩いていたら、ランドマーク的だった、たぶん戦後すぐに建てられた料亭だった建物 ━「木村屋 寿司」という字がかすれて見えていたが、意匠からしてもともとは料亭だったのだと思う━ の取り壊し作業が始まる寸前だった。寿司屋としては、太巻きといなりだけを持ち帰ることができるテイクアウト専門店だったらしい。ぼくが沖縄に通い出してから使われていたのを見たことがなかったから、長年、空き家のまま放置されていた。沖縄の「戦後」の風景が、また一つ消える。