文と写真・下川裕治 

 

■葛藤がはじまった

 

 葛藤は去年(2020年)の3月からはじまった。中国の武漢から広まった新型コロナウイルスの感染は、世界に広まりつつあった。空港の水際対策を各国は急いでいた。

 そのとき、僕はタイのバンコクにいた。カンボジアからの帰りにバンコクに滞在していた。

 深夜、突然の発熱で目が覚めた。翌朝、急いでバンコク病院に出向いた。カンボジアに向かう飛行機は中国人で埋まっていた。新型コロナウイルスの感染が心配だった。

 鼻の奥に綿棒を入れて検体をとり、検査結果を待った。1時間ほどで医師に呼ばれ、新型コロナウイルスは陰性と伝えられ、細菌性の発熱と診断された。

 薬が効き、午後には体温はさがった。翌日には元気になった。その頃から、バンコクではロックダウンがはじまった。しかし僕が滞在していた宿の周りの店はどこも開いていた。訊くと、ロックダウンの話は届いていなかった。タイらしい話だと思った。

 一連の話をツイッターで紹介していた。

 知人から連絡が入った。僕のツイッターが炎上しているという。見るとさまざまな意見が寄せられていた。

 バンコク病院の検査で論争が起きていた。PCR検査かどうか。PCR検査だとしたら、1時間で結果が出るものだろうか。僕が宿の前の店に行ったことに非難が集まっていた。感染が広まりはじめているのに……という論理である。

 やがて日本では自粛警察論争が起きる。僕のケースとは少し違うかもしれないが、共通点も感じとっていた。

 これまでも何回か抗議を受けてきた。ものを書く仕事を選んだ以上、避けて通ることができないことだと思っていた。しかし新型コロナウイルスをめぐる抗議は異質だった。そこには僕の認識不足もあった。新型コロナウイルスというものをよくわかっていなかった。しかしそれを差し引いても、寄せられる抗議にはある色があった。

 同調圧力……。

 そんな気がした。

 

2020年3月、カンボジア。
2020年3月、カンボジアを訪ねた。この後、熱を出したが……

 

 感染は広がっていった。日本は1回目の緊急事態宣言を経験する。そして夏。僕は再び悩むことになる。