文と写真/藤井誠二 

 

6月4日 [FRI]

Naha17.1 

 書評用に溝口敦さんの『喰うか喰われるか ━私の山口組体験』を機内で読了。溝口さんが若い時分に圧倒的に影響を受け、ライターの道に進むことになったと記していた『政治と犯罪』(エンツェンスベルガー・野村修訳 1966)を取り寄せた。ネットで検索すると軒並み数千円なのに、一軒だけ千円ぐらいの古書店があった。しめしめ。

 県庁前で降りて永當蕎麦でかき揚げ蕎麦とカレー。カレーが三〇〇円だったのでミニサイズと思い込み、頼んだら普通サイズだった。省庁などの地下食堂でよく出ている ─ぼくの思い込みかもしれんが─

 那覇に来るまで名古屋で重い荷物を担ぎながら取材に回っていたせいか、シャワーを浴びたら疲れがおそってきた。沖縄の「むわっ」とした湿気と暑さを急に浴びたせいもあるのだろう。昼寝を少々。夕刻に栄町で写真家の岡本尚文さんと普久原朝充君と会う。

 

6月5日 [SAT]

Naha17.2

 ひさびさにぐっすり寝た感覚がある。午後に人に会うことになっていたが、降水確率が九〇パーセントだし、待ち合わせのカフェが昨日から休業中なので、延期にする。いま沖縄県は人口比で見ると、新型コロナ陽性者率は全国一になっている。台風が近くを通過しているせいで突風がときおり吹く。どんよりした空気。外に散歩に出る気もしない。巣籠もり状態で仕事を続ける。

 

6月6日 [SUN]

Naha17.3

「琉球新報」の月イチ連載で取り上げる方の自宅にジャン松元さんとおじゃまして、インタビュー&撮影。むつみ橋のスタバに寄っていくつかデータを送ったあと、島袋寛之さんと深谷慎平さんと合流、空港近くの「G-shelter(ジーシェルター)」へ。ここはもともと音楽、デザイン、映画などの興味を持った若い人たちが集まってできたスペースだそうで、だんだんと音楽イベント中心に運営されるようになり、安里の店舗から、昨年に那覇空港近接の倉庫地域に移転したという。無機質な配送会社の倉庫の建物の中を抜けていくといきなりスタジオがあらわれる。撮影・配信の機能を強化したスタジオ型店舗だという。7月におこなわれる那覇市議選挙に出る中村圭介さん(二期目・無所属)と、新人で立候補予定(立憲民主党公認)の普久原朝日さんとオンラインで[「 Vote for Naha!! 「みんなで街を作るために ─いま政治がやるべきこと、出来ること」]と題したトークライブに参加。ぼくは司会役。那覇市が抱える課題などについて二時間近く、議論する。朝日さんはまだ26歳。ぼくの半分以下の年齢だ。終ってから深谷君のクルマで中村議員を家まで送り、ぼくらは栄町で飯を喰って帰る。

 

6月7日 [MON]

Naha17.3 

 朝七時に目覚めてしまったので、洗濯。昼前に桜坂劇場へ集英社文庫版『沖縄アンダーグラウンド』を十五冊納品。支配人の下地久美子さんとちょっとゆんたく。「おとん」の池田哲也さんと牧志アーケード街内の「パラソル」で合流してお茶を飲む。オーナーの棚橋ジャンさんとちょっと話して、ぼくは歩いてすぐのところにある「ミルク食堂」で煮付け定食を食べて再び、コーヒー屋台「ひばり屋」で池田さんと合流。蚊に刺されながら、しばしゆんたく。「おきなわいちば」という季刊誌の「旅とさんぽ」特集に取り上げてもらった。十数人の「散歩人」がイラスト化して登場していて、知った人もちらほら。しっかし、ぼくがすごく老けたかんじで描いてあって笑った。まあ、そんなもんか。

 

6月8日 [TUE]

Naha17.5

 冷蔵庫にあった残り物の野菜などを炒めて、沖縄そばにのっけて喰い、すぐにパソコンに向かう。昼過ぎに、取材進行中の人に会いに行く。原稿に詰まったら、可能であればまたその人と言葉を交わすことで、「突破口」になることが多い。取材後、新都心のサンエーメインプレイスに日用品を買いにいったら、アーティストの町田隼人さんとばったり。スタバに入ってゆんたく。彼は順調に売れていて、沖縄の超人気バンドHYのコンサートグッズも手がけることになったという。拙宅に帰還してパスタを茹でて食べる。今日、取材した成果を原稿に反映。

 今日の「琉球新報」の面識もある大城周子記者の手による、川平朝清さん(93)のことを大きく紙面を割いた記事が秀逸だった。「復帰半世紀 私と沖縄」シリーズの三回目で、ジョン・カビラさんや川平慈英さんの父、戦後沖縄初のアナウンサーである。留学先のアメリカ・ミジガン州で出会ったワンダリーさんと朝清さんの人生が綴られている。

[反戦平和を貫き、是々非々の人だった。

 朝清とワンダリー(筆者注・妻の名前)の間には慈温、謙慈、慈英の3人の息子が生まれた。長男の慈温(ジョン・カビラ)には忘れられない出来事がある。小学校高学年の頃、社宅の改築工事にやって来た若い大工が兄弟に向かって「君らパンパンの子か」と言った。

「パンパン」は米兵を相手にした街娼に対する侮辱的な呼び名だ。朝清は若い大工を静かに諭した。「例えそう呼ばれるような母親から生まれた子であっても、その子に責任はない」。朝清とワンダリーは、子どもたちに常にフェア(公平)であることを求め、「自分には何者なのかをしっかりと持つように」と説いた。]


「沖縄タイムス」には、兄から十年以上 ─小学校高学年から─ 性暴力を受け続けて、バラしたら殺すと脅され続けていた記事が大きく載っていた。中学生になり同級生に相談したところ、噂が広がり、教員から「兄とやっているの?」と言われた。相談機関につながったのは二十歳をすぎてからだという。辛すぎる話だ。女性には万全のセラピーやケアを、そして兄には厳正なる対処をしてほしい。これは犯罪なのだ。

 

6月9日 [WED]

Naha17.6 

 朝8時ぐらいに目が覚めて、ずっと仕事をする。じつは林のようになったバルコニーの木々の葉の間にキジバトが巣を作っていたことを、先月、剪定をしていているときに知った。枝をかきわけていたら卵をあたためていた親鳥と目が合った。こんなところに。ぼくはそっとしておくことにして、今回きてみたら、巣には小柄の鳥がちょこんと座っていた。雛が無事に成長したのだ。そして、今日、まるでこわごわバンジージャンプをする人のように、子どものキジバトはバルコニーの端にちょっとずつ寄っていき飛び立っていった。ぼくはその様子をずっと見ていた。さよなら。元気でやれよ。ぼくは巣をかたづけ、周囲の枝を剪定した。

 仕事を昼過ぎまで続け、牧志のNPO「ククル」へ。途中で、すぐ近くの浮島通り沿いにある古着屋「ANKH(アンク)」で、相方に頼まれていた古着のワンピースを受け取りにいく。進行中のプロジェクトのために、長年ひきこもっていた青年と会っていろいろ話を聞かせてもらう。「ANKH」は店内に保護猫が四匹いることで知られているけれど、寄ってくる猫を撫でまわす。途中で御同業の橋本倫史さんと邂逅。坊主にマスク、丸眼鏡だとわからないよ。「ククル」のプロジェクト終了後はいっしょに進めている深谷慎平君らと食事をして帰還。