文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

 

匂いをたどって       

 生命は太古の海に生まれ、進化の過程で、体に光を感じる白っぽい斑点を得た。斑点は次第に発達し、まず動きを、つづいて形を、やがて細部や色を見分けることができるようになった。海の中から始まった人間の眼は、だから今なお塩水を必要とする。

 最古の眼だとされる、約5億年前のカンブリア紀に生息した三葉虫の眼は、複眼で、横方向しか見ることができなかったが、人間の眼は足下の蟻も夜空の星も、瞬時に視界に捕らえることができる。



「見る」は、多くの場合、意志に左右される。見たいと思うもの、見ようと思うものには目をこらすが、家から駅までの通い慣れた道のコンビニエンスストアの看板は、視界にあっても見ない。

 

Blue Journey63.1

 

 チャオプラヤー川の向こう岸、彼方に白くそそり立っているのは、タイに700余りあると言われる寺のひとつ、ワット・アルン。“ワット”は暁、“アルン”は寺の意。ガイドブックの多くに記されているように、三島由紀夫最後の長編小説『豊穣の海』、その第3巻『暁の寺』の舞台となっている寺だ。

『暁の寺』を読んだのはずいぶん前のことで、しかも斜め読みだったので、記憶に残っていたのはとぎれとぎれで、かすれたあらすじのみ。思いがけずタイに行くことになり、倉庫から引っ張り出してはみたものの、慌ただしさを言い訳に、机に投げ出したまま出発することになった。

 

Blue Journey63.2

 

 帰国後、『暁の寺』を手に取り、ほっとした。

 行く前に読まなくてよかった。

――塔の重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に満ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向って細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである。すこぶる急な階段の蹴込(けこみ)も隙間(すきま)なく花紋で埋められ、それぞれの層を浮彫の人面鳥が支えている。一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押し潰されながら、なお累積(るいせき)して、空へ向かって躙(にじ)り寄って成した極彩色の塔。

 行く前に読んでいたら、そのように見なければならないと思い、そんなふうに見られるはずもなく、上っ面だけをなぞって、わかったふりをしていただろう。

 

Blue Journey63.3

 

 人に影響されやすいために、旅についての先人の言葉の間で、いつも右往左往している。

 たとえば内田百聞。掌編『特別阿呆列車』の内田は「なにも用事はないけれど」大阪に行こうと思い立ち、一等車じゃなければ乗らないと言い切ったあと、金がなければ三等車に乗るかもしれないとつづけ、こう結ぶ。

 ――しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。

 たとえば井伏鱒二。選集の後記で、太宰治は井伏の旅をこう評する。

 ――井伏さんは旅の名人である。目立たない旅をする。旅の服装もお粗末である。(中略)旅行下手の人は、どんな勝れたものを、如何程多く見ようとも、心を豊富にするすべを知らないのである。旅行上手の人は、それに反し、一寸した詰まらないものを見ても、それを旅の土産にすることができるのである。

Blue Journey63.4