文と写真・下川裕治 

 

■バンコク到着後、隔離ホテルへ直行

 タイを訪ね、バンコクの街に出る前に2週間の隔離が待っていた。2週間? 多くの人が敬遠する。しかし逆に考えれば、これだけのしっかりとした隔離を経れば、タイに新型コロナウイルスをもち込まずにすむという安心感を生む。

 

 しかし2週間……。

 隔離用のホテルはバンコクやその周辺に100軒以上あった。外国人観光客がまったく入国できない状態のなかで、なんとか収益を得るには、隔離ホテルになると手をあげるしかなかった。外国人への依存度が高いほどその傾向は強くなる。

 当然、そこにはホテルのランクが反映される。僕はそのリストのなかから、いちばん安いクラスを選んだ。

 ロイヤルラタナコーシンホテル。以前はロイヤルホテルといった、その前はラタナコーシンホテルといったはずだ。

 バンコクでは最も古いホテルのひとつだった。バンコクがいまのような国際都市になる前、この街にやってきた外国人の多くはこのホテルに泊まった。場所は民主記念塔の近く。タイの王宮、政府機関の建物が集まる一帯である。



 この一帯を、コ・ラタナコーシンといった。「コ」は島という意味だ。バンコクという街はアユタヤのレプリカのようにつくられた。アユタヤ王朝はチャオプラヤー川などに囲まれた島のような土地につくられた。川が王朝を守る役割をはたしていた。バンコクもチャオプラヤー川、そしてそこからのびる運河をつくり、囲まれたエリアに王国の中枢を集めた。そこがラタナコーシン島。いまの王朝もラタナコーシン朝という別名をもっている。

 ロイヤルラタナコーシンホテルは、それほどの由緒あるホテルだったが、いまは老朽化が進み、典型的な中級ホテルになっていた。しかしどこかにかつての残り香はあるのかもしれない……。一度は泊まってみたいホテルだった。

 2週間の宿泊代は10万円ほどした。これでもかなり安かった。高級な隔離ホテルは20万円を超えていたと思う。宿泊代には2週間の食事代、2回のPCR検査代、空港からホテルまでの車代などが含まれていた。



 スワンナプーム空港のターミナルビルの出口脇に、隔離ホテルまで向かう人の待機スペースがあった。そこで待っていると、防護服を着たドライバーが現れた。僕をロイヤルラタナコーシンホテルまで送る連絡を受けているようだった。乗客は車1台でひとりと決められていた。感染拡大を防ぐためだった。

 タイの運転手の多くが、車に乗ると親しげに話しかけてくる。しかし僕が乗った車の運転手は無言だった。話すことも制限されているのかもしれなかった。

 30分ほどでホテルに到着した。入口には隔離ホテルであることがわかる英語の掲示が出ていた。

 

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ロイヤルラタナコーシンホテルの入口。隔離以外の宿泊客はいない?

 

 ロビーはパーテーションで区切られ、歩く通路が決められていた。途中で履いていた靴を脱ぎ、サンダルに履き替えるよう指示があった。靴はビニール袋に入れる。

 その先にブースがあり、そこに防護服を着た女性が座っていた。

 ここでチュックイン?

 違った。ラタナコーシンホテルのスタッフではなく、看護師だった。彼女が書類を点検し、隔離期間中のことを説明してくれる。スマホにアプリを入れて、朝と夕に体温を送信すること。PCR検査が2回あること。そしていまの体調チェック……。

 ここで30分以上の時間がかかった。その先のブースに進むと、そこがホテルの特設チェックインカウンターだった。書類を出すと、隔離初日から3日分のメニューが渡された。朝、昼、夕の食事をそれぞれ2種類のなかから選ぶようになっていた。

 

日本の外からコロナを語る 海外で暮らす日本人が見た コロナと共存する世界各国の今
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編集・監修は、「12万円で世界を歩く」他、多数の海外に関するエッセイの第一人者の下川裕治。各国の執筆者と昔からつきあいのある監修者が、現地の肌感覚や本音に迫る。

 
12万円で世界を歩く リターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編 
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『12万円で世界を歩く』から約30年。旅行作家の下川裕治が、あの過酷な旅に再び挑戦する! 今度はタイと隣国の国境をめぐり、北極圏をめざし、長江を遡る旅へ、予算12万円で過去に旅したルートをたどる。