文と写真・丸山ゴンザレス

 

「日常にある非日常系考古旅―海外編―」今回は、私が大学時代に訪れたインドでの出来事である。

 当連載で提唱してきた「ハイブリッド考古学」の気づきとなるような出来事であった。

――――――

 既成事実と思われることを批判しながら検証するのが歴史学。そういった意味では、裏社会の取材も共通した部分があると思う。

 平成不況のど真ん中の2000年代初頭、経済的な理由もあって考古学から離れることにした私は、生きることに必死だった。とにかく金が稼げればいいと、どんな仕事にも手を出した結果、ジャーナリストの道を進むことに。しかも、裏社会と呼ばれる分野を得意とするようになった。



 だが、考古学をかじった経験は、裏社会取材の上でも大いに役立っていると感じることが少なくない。実際に、これまで私が旅をしてきた中でも、国内外の裏社会取材を通じて考古学的なものに出合ったり、その逆で考古学的なものに出合ってそれを紐解くと裏社会に辿り着いたりという経験はいくつもあった。ここでは、そんなエピソードの数々を今一度、裏社会ジャーナリストとしてではなく、考古学者の目線で振り返ってみたい。

 

■ゲーム片手にインドへ渡る

 旅をすることで考古学と裏社会の接点を初めて感じたのは、まだジャーナリストとして海外取材を始める前、大学の学部生だった頃に行ったインドでの出来事だ。私がバックパッカーの真似事のような旅を始めた頃のことである。

 きっかけは些細なことだった。旅の途中でインド行きのチケットを買うために立ち寄ったバンコクのカオサン通りで知り合った日本人(今では名前も思い出せない程度の関係)に金を貸したことに始まる。いくら若造だったとはいえ、長期滞在で金欠になっているような奴に金を貸せば返却の見込みがないことぐらいはわかっていたが、行きがかり上、仕方なく金は貸した。そこで金を貸す際に、質草として渡されたのが「ゲームボーイ」だった。



 時は1998年。20世紀の話ではあるが、その当時でもゲームボーイは最先端のアイテムと呼ぶにはほど遠い、やや時代遅れ感のある代物だった。内心、「これ、いらない」と思っていたくらいだ。

「金は1週間で返す」とのことだったが、当然のごとく返ってくるはずもない。「じゃあコレ、もらいますね」と言って正式にゲームボーイの所有権を主張してはみたものの、やはり嬉しくはなかった。バックパックの限られたスペースを圧迫するだけの存在だ。文字通り、余分な荷物を背負い込んだ気分であったが、大事な資金の質草である。捨てていくわけにもいかない。

 その先にインドへ向かうことを予定していた私は、バンコクからインドのカルカッタ(=当時。現コルカタ。インド第3の都市)に飛行機で入ると、バックパッカーの集まるサダルストリートで何週間か過ごし、そこで知り合った日本人に誘われるままカジュラホという街に行くことになった。当時は聞いたことがなかったが、カルカッタの北西、インド中央部に位置するマディヤ・プラデーシュ州の小さな街である。そこまでは電車とバスを乗り継いで2日ほどかかった。

 

■隠し部屋で「お宝」を見た

 

 カルカッタに到着してからは、同行した日本人たちと行動をともにすることはなくなった。彼らが観光目的の大学生たちだったことが大きい。私は観光地で名所巡りをしたかったのではなく、インドを感じるだけで十分。要はなんもしたくなかったのだ。インドに思い入れがあったのではなく、旅人してはインドを通っておきたいぐらいの感覚だった。

 ちなみにカジュラホの主な産業は観光である。現代ではその片鱗を窺い知ることもできないほどの田舎の村だが、一応、カジュラホは9世紀からインド中部を支配していたチャンデーラ朝の都だった都市で、ヒンドゥー教の寺院群が知られており、その建造物の壁面に彫られたレリーフが有名なのだ。レリーフのモチーフとなっているのはミトゥナ。ヒンドゥー語で男女交合、つまりはセックスを描いたレリーフである。



 入場料も無料ということで最初に寺院群を見て回ったが、性愛というには過激な内容のものばかり。女性の胸も極端に強調されている。ここでしか見ることのできない特徴的なレリーフとはいえ、石像に欲情することもないので、1日歩いて興味がなくなっていった(ちなみに現在は世界遺産に指定されており、強気な値段設定の入場料がとられるようになっているそうだ)。