文と写真/丸山ゴンザレス

 

 この連載がきっかけとなり、考古学のリハビリ旅を始めて、様々な遺跡巡りや基本や知識のおさらいなどをしてきた。だが、そろそろリハビリも完了したと言えそうなので、ここからは、ジャーナリストとして活動している私だからできる考古学を追いかけていこうと思う。

 まず私が目指すのは、考古学とジャーナリズムを融合だ。大それた目標を掲げたように見えるかもしれないが、なにも考古学の新たな分野として普及させたいと考えているわけではなく、それが、私の中の最終的なテーマを追求するために必要だと思ったからだ。


 

 そのテーマというのが、はるか昔からあったであろう裏社会の実態とその構造を、現代のジャーナリズムと考古学で明らかにすることである。

 現在の日本、そして世界中には、「裏社会」と呼ばれるものが確かに実在している。しかし、その存在は知れば知るほど難しいもので、決まった形はなく、継続的に営まれている場所もない。たとえば、麻薬の取引現場や、その取り扱いをする組織の活動場所をそう呼ぶこともあるし、銃や密輸品が取引されるマーケット全体を指して言うこともある。また、殺し屋の存在自体が裏社会と呼ばれることもあるだろう。

 不定形で、かなり多様な使われ方をする裏社会。掴みどころのないものであることは、ジャーナリストとして取材を重ねてきた身からすれば痛感していることである。


 

 現代でも掴みどころがない裏社会なのに、歴史上の裏社会を相手にして構造を解き明かそうというのだから、自分で言っていてもハードルの高さが窺えるというもの。当然のことながら、考古学とジャーナリズムのどちらか一方からのアプローチだけでは足りないだろう。考古学の知識とジャーナリストとしての裏社会取材の経験を重ねるという異種のものを組み合わせたハイブリッドなやり方でないと実現できないのではないかと思っている。

 どうして、この両者の融合にこだわるのかといえば、それは思いつきのようでもあるが、一応、私の現在までの歩みともリンクしている。

 先ほども述べたように、今でこそ国内外の裏社会を取材しているジャーナリストであるが、最初からその分野に詳しかったわけではない。学生時代は「ヤクザとマフィア」を「日本と海外の怖い人」としか認識していなかったし、ギャングと不良の区別を特につけることもないような“ど素人”だった。まあ、週刊誌や実話誌のヤクザネタを読んだりする程度にはアンダーグラウンドのものに心惹かれたりすることはあったが、特別に熱中していたかと言われると、そうでもなかった。本格的に考古学を専攻するようになってからも、その傾向は特に変わらずだった。

 

■未発掘の遺跡で発見した奇妙な跡

 変化があったのは、学部4年のとき、茨城県の石岡市で実施した遺跡の分布調査だ。

 縦横無尽に市内を歩き回り、市内に点在する遺跡を確認していく。そのなかには未発見の遺跡まで含まれていて、考古学徒としてはこれ以上ないエキサイティングな仕事だった。

 ちなみに縦横無尽とは文字通り、1チーム3~4名で範囲を決めて横並びに歩く。平地の住宅地だろうと、高低差のある山だろうとだ。急勾配の坂を転げ落ちたり、事情を説明した住宅の人からは不審者扱いされたりと大変なこともあった(正式な行政の仕事だったので、教育委員会の腕章はしていた)。きつい仕事でも続けられたのは、しばしば新規の遺跡を見つけることがあったからだった。その遺跡が旧版の遺跡地図はもちろん、教育委員会も把握していないものだということがわかると、これ以上ない喜びと興奮に包まれたものだ。
 

 そうした遺跡のなかで、古墳の主体部(埋葬施設のあるところ)を中心に崩れこむように大きく凹んだ状態になっている墳丘を見つけた。遺跡地図にない新規の発見であるから、発掘調査はされていないはずなのに、不自然に凹んでいるのは明らかにおかしい。なぜか――。