文と写真・丸山ゴンザレス

 

「考古学者崩れジャーナリスト」というプロフィール

「先輩、助けてください」

 そう言って、私は母校・國學院大學の研究室に駆け込んでいた。むしろ助けを求めたと言ったほうが的確かもしれない。いったいどんな経緯でそうなったのか――。順を追って説明しよう。

「考古学者崩れ? じゃあ考古学者だったんですか?」

 私のプロフィールを見た人からそう問われると、冷や汗が流れる。「崩れ」とは、あくまで「今は違います」というニュアンスのつもりで使っているのだが、そもそも「元」とはいえ、考古学者を名乗るには経歴が半端すぎるのだ。

 これまで崩れだろうが何だろうが、考古学との接点があるという強引な理屈を唱えてこられたのも、私が考古学や大学と接点がない「ジャーナリスト」という生き方を選択したからである。「崩れ」を自称することで、「部外者が何を言おうと、わざわざ文句をつけてくる専門家もいないはず」と思ったからだ。それに、考古学者崩れジャーナリストと名乗っても間違いじゃない理由もある。実は「國學院大學学術資料センター共同研究員」の肩書を持っているのだ。だから、考古学の連載ルポを始めること自体、胸を晴れるはずのことなのに、どこか自信がない。それは、やはり専門知識の欠如が原因だろう。


 前回お話したように、私の考古学知識は完全に忘却の彼方へといってしまっていた。学生時代の知識を忘れてしまうのはよくあること。40代に入れば老化現象も出てくるわけだし、そもそも専門領域の知識なんて、使っていなければ忘れてしまうのは仕方ないことなのだが、正直、少し詳しいだけの人に負けてしまうぐらいの知識しか残っていない。実際、海外の遺跡や外国考古学については、私も出演している『クレイジージャーニー』でお馴染みの“奇界遺産フォトグラファー”の佐藤健寿さんのほうが詳しいぐらいだ。

 一時期は考古学で生きていこうとした人間が「全部忘れました」では、お話にならない。

 

学生時代の丸山氏

 

 こんな状況に危機感を抱いて、まず詳しい人に聞いてみようと相談した相手は、学生時代の研究室の先輩でもあり、國學院大學博物館の学芸員で同大学の准教授を務めているフカサワ先生こと、太郎さんである。彼の研究室に駆け込んだ私は、そのまま渋谷で飲むことになった。行き先は学生時代からの定番、居酒屋『千両』。渋谷中央街にある名店(史学科の学生の溜まり場)である。

「助けてって、お前さんは何を言っているだよ」

「考古学の連載をすることになったんですが、ほとんど覚えてないんですよ。考古学的な知識とか感覚とか」

「そいつは難儀だな。だからって、すぐにどうこうできるものじゃないだろう」

 太郎さんは大先輩ではあるが、学年では1つしか違わない。考古学畑をきっちり歩いてきて、道を違えた私にも学生時代と変わらず接してきてくれた数少ない先輩の一人である。ここまでの経緯を話しつつ、どうにかならないかとの相談にも、きちんと耳を傾けてくれた。そんな人に迷惑をかけるのは承知しながらも、そこで私は、試してみたいことを一つ提案した。

「どっか、現場ないですかね?」

 考古の世界では、遺跡の発掘現場のことを「現場」という。今さら本を読んで、ちまちま学ぼうとは思わない。せっかくなら、ブートキャンプの要領で一気に思い出したい。なにせ、一度は習得したはずのものである。地道にイチからやるよりは、いっぺんに詰め込んだほうが早いだろう。

「う~ん。現場か……。あ、そうだ。あるぜ、山梨だけどな」

 やはり太郎さんは頼りになる。大した研究もしていないのに研究員として所属していられるのも、そもそも再び大学に潜り込めたのも、彼を中心とした恩師数名の後押しによるところが大きい。そのぐらいのバックアップがなければ、危険地帯を取材して歩くようなジャーナリストが、大学の研究員になれるはずもない。持つべきものは院友(國學院大學での同窓生の呼び名)である。

 こうして、山梨の現場に行くことになったのだが、正直、きつかった。何がつらいって、朝がつらい! 考古学の世界ではスタートの時間が早いことを忘れていたのだ。

「朝7時半に大学に集合な!」

 それが数日前に太郎さんから送られてきていたメッセージだった。

 まっとうな勤め人の方々には申し訳ないが、私にとって7時半は“深夜”である。明け方まで原稿を書いて、そのまま寝潰れる生活を何年も続け、取材申し込みのアポに対して、「11時? そんな早朝に行くなんてムリ!」と、何度となくキレてきた身としては、発掘調査のスケジュールは驚異的なしんどさだ。

 だが、どんなにきつくても、自分の都合で相手を待たせるわけにはいかない。寝不足の体を引きずって早朝の大学にやってきた。ところが、時間になっても太郎さんが現れない。仕方なく電話をすると、「地下に来てくれ」と言われてしまった。


 地下とは文字通りの地下室。太郎さんの研究室のある場所のこと。警備員室の前を抜けてお邪魔すると、そこにはパソコンとにらめっこしている太郎さんの姿があった。どうやら、だいぶ前からそんな姿勢を続けているような空気が室内に充満していた。

 私が入室してもなお、お世辞にも片付いているとは言えない研究室で、太郎さんは黙々とパソコン仕事を続けていた。

「わりい、もうちょっと待ってくんな」

 さらに黙々と作業を続けていた。考古学の世界のもう一つの特徴として、時間に正確じゃない人が多いというのがあることを思い出した。

 私は妙な安堵感に包まれながら、ラックに収納されていた報告書や専門書をなんとなく読み出した。学生時代は必死で読んでいたこの手の本も、今となってはいい具合の参考資料。論文を書くプレッシャーもないので、わりと気軽に読めるし、けっこう面白いのだ。特に報告書は自分の記憶と対話するにはいいツールだった。


 過去に私は授業の一環で、大学の研究室で実施した調査を報告書にまとめたことがある。その後、働いた民間の発掘会社で携わった調査でも、何冊かの調査報告書を作成した。あのときにQuarkやIllustrator、Photoshopといった基本ソフトを触った気がする。このときの経験があったから、後の出版社勤務時代にQuarkからInDesignへの移行などにも対応できたのかもしれない。

 意外かもしれないが、考古学をやっていると、本づくりというのはセットで発生するものなのだ。発掘と調査報告書の作成。これがメインの作業である。そして、報告書を作るためには整理作業をしないといけない。今回の旅は、整理作業に入る前の遺跡の発掘現場を見るのが目的なのだと、あらためて心に刻みつけていた。

 そうこうしているうちに、前日までにできていなければならなかったという大事な書類を何枚か出力した太郎さんが、「これでおしまい!」と言って立ち上がっていた。そこでようやく、出発することになった。

 

國學院大學の渋谷キャンパス
書棚には専門書がびっしり
雑然とした地下の研究室

 

 山梨までは、都心から中央道を抜ければ2時間もかからない。関東圏の中では行きやすい場所にある。それも山間部をぶち抜く笹子トンネルができて峠道を通らずに済むようになったおかげだ。