ともかく、自分の発想が偏っていたことに気がついた。予想外の答えだったのだ。富士山といえば、日本一の山である。余暇に登山したり、山頂で御来光を見たりする観光スポットのような扱いをされることもある。

 もちろんその一面はある。そこを含めて、さきほどの日本遺産が目指すところが、まさに富士山なのかもしれない。日本遺産ならではの『地域の歴史や文化の特色をわかりやすく表現した「ストーリー」』があるはずだ。その象徴となるものこそが、遺跡としての富士山なのかもしれないと思った。

 そのようなことを考え込む私を見た太郎さんが声を掛ける。

「分かるかい?」

「山岳信仰とその遺跡群ですよね。山頂部の参拝施設も古いと聞いたことがあります」

「山頂には12世紀に大日寺が建立されたといわれてるけど、山頂だけじゃない。富士山を祀る山麓の浅間神社については9世紀の噴火や祭祀の記録が残ってるし、周辺の地域を見れば縄文時代にさかのぼる祭祀遺跡なんかも見つかってる」

 たしかに牛石遺跡(都留市)のような縄文中期の遺跡からは環状列石(石を並べたやつ、ストーン・サークルともいう。秋田にある大湯の環状列石が有名。イギリスのストーン・ヘンジとは別物なので、そこのところ注意!)が見つかっている。他にも多数あるわけで、古くから日本最大の霊山として信仰の対象になってきたのは間違いない。山頂や裾野にはもちろんのこと、全国各地に富士山信仰は息づいている。

 小林さんも、こちらの考えを拾うように言った。

「富士山とそこにまつわる信仰や、災害の歴史とかも含めてですよね」

 富士山が日本人にとって特別な意味を持つ。そのことは分かる。それだけに自分の考古学を見つめ直すリハビリ旅の序盤にこの山を向き合うのは、必要なことなのかもしれないとも思えた。少々飛躍があるかもしれないが、学生時代に祭祀考古学を専攻してた身としては、避けて通れないような気がしていたのだ。だからといって富士山に登るのはひと苦労。自重によって膝がやられかねない危険のある巨漢中年の私には、リスクが大きすぎる。

 思い立ったのは、「足元を疎かにするな」という小学生の担任の口癖だった。別に好きな先生じゃなかったが、なんとなく、そんなことを言われたのを憶えていたのだ。あくまで、なんとなくだが。


 山全体が遺跡の富士山。調べて回るのは別に山頂である必要もない。むしろ、アニミズムの観点からすれば、自然への「畏れ」こそが信仰の原点である。特に噴火を繰り返して日本最高峰になった霊山である。そうなると、畏れの対象の頂上よりも足元に行くほうが、太古の人々の祈りの記憶に触れられるかもしれない。

 それに、もしかしたら直感的に「富士山だ!」と思った自分の感覚を肯定する材料や、リハビリ考古旅にふさわしいなにかに出会えるような気がした。

 そんなことを思い巡らせていたちょうどその時、絶妙なタイミングで、別件の仕事で富士の裾野を取材するという機会が訪れたのだった——。

 

MASTERゴンザレスのクレイジー考古学
MASTERゴンザレスのクレイジー考古学

TBS系列の旅番組『クレイジージャーニー』で人気を博し、今ではユーチューバーとしても活躍する危険地帯ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが、これまでの取材を通じて見てきた「裏社会」と、学生時代に修士号を取得した「考古学」を融合させた「ハイブリッド考古学」の実証に挑む。自身の半生を振り返りながら持論を展開する渾身の紀行エッセイ。