取材当日、朝8時に東中野の駅前から2台に分乗した我々は、青木ヶ原樹海散策の入り口とされる富岳風穴駐車場に入った。そこで現地集合のメンバーとも落ち合う。総勢で8名。パーティとしては大所帯。安心感はあるが緊張感に欠ける。


 軽くストレッチをしてから、ドライブインを横目に遊歩道へと進む。いよいよ樹海探索のスタートだ。その瞬間、私の脳裏に、樹海に関する恐ろしい記憶がよみがえってきた——。

 

 

 今から10年ぐらい前になるだろうか。当時、出版社に勤務していた私は、休暇を利用して、通っている格闘技ジムの仲間たちと樹海探索に赴いていた。その前年にも計画していたが、積雪のために失敗していたので、リベンジするつもりだった。そのときの樹海探索中に不思議な場所を見つけたのだ。

 その場所で風に乗って漂っていたのは、何かの焦げついた臭いだった。生理的に受け付けない、思わずえづくような臭い。それをたどって歩を進めると、そこには有機物を燃やしたカスのようなものがあった。部分的に炭になるほど燃えていたので、燃焼剤やオイルをかけたのだろう。周囲には銘柄の違う複数のタバコの吸い殻や、5~6組のゴム手袋が落ちていた。黒く焦げた“何か”と、鼻腔にこびりついた嫌な臭いの記憶は今でも残っている。

 

 その後しばらく樹海とは縁遠い生活をしていたのだが、思わぬところから再び樹海の話を聞くことになった。当時、裏社会の取材をしているときに知り合った裏稼業の人に、新宿の外れにある喫茶店に誘われたのだった。名目は同業者の会合ということだったので、部外者である私は、彼の友達ということで同席したのだが、集まってきたのが見るからにワケありな感じの人たち。まあ、そういう人たちなんだろうと思って、ニコニコしながら話を聞いていた。

「じゃあ、北関東でいいかな?」

「渋谷から運び出すにしても何に入れるんだ?」

「ゲーム機の中を空にした箱があっただろ、あれでいい」

「でもよ、北に行くのはまずくないか。あのときもあそこだったし」

「じゃあ樹海で良くないか?」

「あ~そっちね。すぐに腐るし放置すればいいんじゃないかな」

 雲行きの怪しい会話の中で、樹海に何かを運んで腐らせるという内容だけは覚えているものの、それ以後のはっきりとした記憶はない。むしろ忘れ去ろうとしているだけなのだ。あの当時の記憶をすべて発掘していいことなんてほとんどないからだ。

 さて、そんな過去の記憶をよぎらせながら歩くこと約10分。装備万端なうえに、遊歩道は歩きやすかったため、別段疲労を呼ぶことはないと思っていたが、早くも足裏が悲鳴を上げ始めた。体重が足裏の一点にかかって膝下の負担が半端ないのだ。

「休憩、まだっすか?」

 思わず口走ると、チーム全体から笑いが起きる。どうやら本気だとは思われていないようだ。それもそのはず。メンバーには女子(20代)もいる。彼女たちが平気なのに、体力自慢なはずの私が音を上げるなんて、ありえないことだった。

(いったいどうして?)

 理由はすぐに判明した。

 足元はすでに道ではなく、富士山が噴火した際にできた溶岩の大地になっていたのだ。土がなく岩場が続く。そのうえ、落ち葉で覆い隠されていて見えないが、あちこちに窪んだ場所があり、体重が重いと、その自然のトラップにかかって、膝までズボっと落ちる。遺跡調査の一環で地形を読むことには慣れているはずなのに、溶岩地帯は不規則すぎてまったく読めない。集中して一歩ずつ踏み出すしかなく、これを何度も繰り返すことで着実に体力が削られていった。

 一方、彼女たちは体重が軽いので、足にかかる負担が少ない。格闘技とバーベルで鍛え上げた筋肉は、樹海歩きにおいては単なる“錘(おもり)”でしかなかったのだ。

 

樹海探索時の筆者

 

 青木ヶ原の樹海は、繰り返し述べてきたように溶岩が固まったところに森ができている。貞観大噴火は1000年以上も前のことだが、それ以前に、この地に文明があったとする“トンデモ説”や、樹海内に暮らしていた集団の痕跡という遺跡のようなものがあるという説もある。このあたりの都市伝説を楽しむのは別に悪いことではない。アマチュアであれば、そこにとやかく言われることもないだろう。だが、仮にも研究員の立場を拝命している身としては、そのような説に乗ることはできない。

 歴史的遺物として樹海で見られるのは江戸時代の富士講(富士山信仰の一種)の石碑ぐらいで、古代はもちろん、縄文時代のものが見つかることなんて、まずないだろう。特に土の少ない火山地帯の森の中で標識土器(時代を特定できるような遺物)が見つかるとも思えない。土にパックされていなければ遺物は風化するからだ。そもそも、このあたりが溶岩に飲み込まれたとされる貞観年間は平安時代なので、特定の勢力が存在していたならば、文献にも登場しているはずである。その資料から特定するほうが現実的だろう。


 もちろん、考古学的なフィールドワークをするうえで、ジャーナリストとして先入観が致命的なミスリードを呼ぶ可能性があるものだということは重々承知しているが、1000年以上も前に溶岩に沈んだ場所に遺跡があったとしても見つかるわけがないのだ。

(超古代文明とか、そういうのはオカルト側の話なわけで、正直、こんなところに遺跡なんて……)

 そう思って歩いていると不思議な場所が視界に入ってきた。石が積み上げられて石垣のように見える。

 

石垣風の溶岩。目の錯覚と苔むした感じが人工物に見せてくる