文と写真・丸山ゴンザレス

 

 2018年6月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。厳密には違うが俗に言う“隠れキリシタン”にまつわる文化財だ。1613年に江戸幕府が全国的に打ち出した禁教令で排斥されたキリスト教徒が、日本各地の共同体に潜伏して根付き、弾圧を避けるために独自の形態になり維持されてきたことを証明する遺跡群である。世界遺産に認定されたのも、その稀有な信仰が評価されたというわけだ。これによって、日本の「隠れキリシタン」は世界中から注目されることとなった。

 新しく世界遺産が認定されると世間の注目度が高まるのは当然と言えば当然だろう。特に、ハリウッドで映画化された遠藤周作の小説『沈黙』や、諸星大二郎の漫画『妖怪ハンター』シリーズをはじめとした多くの人気作品が、隠れキリシタンをメインテーマに据えていることも、その注目度の高さを後押ししているのは間違いないのだが、それだけではないと思う。

「隠れキリシタン」という言葉の持つ響きには、特に多くの人を妙に惹きつけるものがある。それは、悲劇の歴史として実際に起きた出来事であるというところが大きいからだろう。島原・天草一揆や、天草四郎にまつわる数々の伝説、そして現在まで伝わるキリシタンに対する厳しい拷問の数々などの印象は根強く、それが現代人の心を打つのだ。

 

 そんなミステリアスな遺跡群が世界に認められたとあれば、神秘好きではなくとも、長崎・熊本あたりを旅してみたいと、誰もが思うところだが、なかなか簡単に行けるはずもない。会社員勤めから離れて久しいフリーランスの私でも、東京からはかなりの距離があるため、スケジュール的に厳しいところがあるし、そもそも、たとえ取材であっても、国内取材というのは東南アジア取材などより、よほど金がかかる。交通費、宿泊費などなど、世界的な観光地となれば相当な金額。日本は費用対効果がよろしくないのだ。

 それでは、世界が認めたこの日本固有の文化に触れることがそうそう叶わないものなのかというと、決してそんなことはない。たとえば東京都内でも隠れキリシタンやキリシタン信仰の歴史をたどることはできるのだ。もちろん、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と同等の規模のものを期待されると困るところはあるが、歴史の痕跡を見出すことは他の場所でも可能だ。むしろ、そうした場所を探して特定していくことこそ、日常系考古学旅の真骨頂だと思う。

 

熊本県天草にある天草四郎像(左)と崎津天主堂

 

■東京に眠るキリシタン

 ではさっそく都内の隠れキリシタンの痕跡を歩いてみよう……と言いたいところだが、 考古学、それも古墳~古代を専門にしていた私が隠れキリシタンに詳しいはずもない。恥ずかしい話だが、中世や近代の遺跡については、学生時代、とんと興味がなかったのだ。もちろん、中世や近代を専門にしている考古学専攻生もいたので、分野的に考古学がカバーしていないわけではない。江戸~東京が巨大な都市を形成し始めて400年以上の歴史があるわけで、掘ればどこでも遺跡になるというわけだ。むしろ、東京を軸に活動するならば、嫌でも知っておかなければいけない時代ではあるのだが、自らそれについて勉強してきた記憶はない。

 そこで、広く勉強している人を頼ることにした。本連載でもさんざんお世話になってきた、太郎さんこと、深沢先生である。

 

 太郎さんが隠れキリシタンにも造詣が深いことは知っていた。というのも、太郎さんの勤務先である國學院大學博物館の特別展で、昨年「キリシタン―日本とキリスト教の469年―」が開催されていたからだ。

 これは渡りに船。喜び勇んで太郎さんを訪ねた。

「来ましたよ!」

「お前さん、いつも突然だな。来るなら連絡ぐらいよこせよ」

「今日は隠れキリシタンについて聞きに来ました」

「ああ、“潜伏”キリシタンな」

 太郎さんいわく、最近の研究では“隠れキリシタン”と“潜伏キリシタン”を区別しているのだという。前者はキリスト教が解禁されたあとも(現代に至るまで)独自の信仰を続けている信徒で、後者は江戸幕府が禁じてきた約250年間の信徒とのこと。まあ、考古学畑を踏み外して多少なりともオカルト畑にも踏み込んだりしてきた身としては、どうしても“隠れキリシタン”という言葉に惹かれてしまう。

「それで、何が知りたいんだ」

 文句を言いながらも、きちんと相手をしてくれる先輩である。

「都内の隠れキリシタンの遺跡とか痕跡をさぐって歩いてみたいんですよ。九州に行くの、遠いから。そんなお手軽なことできますか?」

「そら、できなくはないさ。都内はキリシタンの痕跡がいくつも残されているからな」

「やっぱ、そうなんですか!? あ~そういえば去年、キリシタンの展示していましたよね。でも、神道の学校でキリスト教って……それって、いいんですか?」

 國學院大學といえば、もともと神道を教えるために創立された大学といわれ、現在でも神主養成学校の側面がある。そのため宗教的な違いは超えることができるのだろうかという疑問だった。

 

「今どき、そんな宗教の違いで展示できないなんてことない。むしろ潜伏キリシタンたちは、仏教や神道と上手く並存しながらキリストを信仰してきたから、関連がないどころか、実は深く関わっているんだ……。伝来してから470年も経っているキリスト教は、立派な日本の伝統宗教だよ」

 

國學院大學は1882年、東京・飯田町(現・飯田橋)に国学を研究する機関として設けられた