文と写真・下川裕治 

 

■本島の本部半島、運天港ターミナルへ

 とりあえず渡ることができる島から攻めていく……。

 その発想で座間味島と伊江島の路線バスを制覇した。この時点で伊平屋島も渡航制限を解除していた。

 しかし粟国島は独自の渡航制限を継続していた。座間味島、伊江島の路線バスに乗りながら、粟国村役場と連絡をとっていた。

 伊江島に渡ったのが9月9日だった。翌日に栗間島への渡航制限が解除になれば、伊平屋島と粟国島に渡ることができる。これですべての離島の路線バスを乗りつぶしたことになる。

 

 しかし粟国島への渡航制限は解除されなかった。9月12日になるようだった。しかしそれも延期になるかもしれない。

 沖縄県の新型コロナウイルス感染に対する緊急事態宣言が解除されるのを待って沖縄に渡った。しかしそれを見透かしたように、台風10号が沖縄本島を襲ってしまう。沖縄本島周辺の離島へのフェリーが動きはじめたのは9月8日だった。それでもなんとかふたつの離島の路線バスを乗りつぶした。しかし残った離島の渡航制限はなかなか解除されない。

 いったん東京に戻ることにした。那覇で待機していても、経費ばかりがかさんでしまう。粟国島に渡ることが可能になったときに伊平屋島と粟国島の路線バスに乗ることにした。伊平屋島を後まわしにした理由? やはり遠かったからだ。

 伊平屋島に行くには、まず本部半島の運天港に行かなくてはならない。伊江島に向かう本部港から見ると、本部半島の裏側になる。那覇からここまでバスで2時間40分かかる。さらにそこからフェリーで1時間20分。つまり片道4時間。乗り継ぎを考えると、4時間半はかかった。

 粟国島までフェリーで片道2時間20分ほどである。伊平屋島は半端なく遠い。日帰りは難しい。

 渡航規制と台風のなかで、アクセスのいい島を優先していた。それは沖縄の離島を訪ねる観光客の動きと同じだった。新型コロナウイルや台風がなくても、やはりアクセスがいい離島に人は集まっていく。それが沖縄の島の離島度のようなものを決め、渡航規制を左右させていることに気づいた。

 それは伊平屋島に着き、ターミナルを出たところにあったバス停の貼り紙が教えてくれていた。そこにはこう書かれていた。

 「運転手の確保ができるまでの当面の期間、毎週、土曜日、日曜日は全便運休になります」

 

 僕らが伊平屋島に渡ったのは日曜日だった。

 「どうしようか……」

 と悩んだが、本来なら観光客が増える週末に運休してしまう発想が、離島度の高さを示していた。新型コロナウイルスや台風に関係のない運休だった。観光客などほとんどやって来ない島なのだ。だから渡航規制を続けても、それほど影響はない。それよりもウイルスを島に入れないことに注力する発想が生まれてきて当然だった。

 渡航規制の解除が遅かった島──。そこが離島度の高さを示していた。

 

伊平屋島に着くと、バス案内板にこの貼り紙。離島度、高いです

 

 運天港は遠かった。途中のサービスエリアでトイレ休憩まであった。バスは本部半島をぐるりとまわるようにして運天港に向かう。いつの間にか寝入ってしまった。

 ようやく着いた運天港のターミナルは閑散としていた。入って右手に伊是名島行きフェリー、左手に伊平屋島行きフェリーの発券所があった。その横には畳敷きの休憩所があり、テレビから昼のバラエティー番組が流れていた。その前で、おじさんが堂々と体をのばして寝ていた。なんだかゆるい空気に包まれている。

 

 伊平屋島行き発券所側に売店があった。僕らはそこで弁当を買い、畳の上に座った。追加で水を買いに行った中田浩資カメラマンが小さな袋を手に戻ってきた。

 「下川さん、これがありました」

 見せてくれたのは酔い止め薬だった。

 「揺れるのか……」

 弁当を食べながら、伊平屋島の旅のブログを眺める。多くの人が書き込んでいた。海流の関係なのか、運天港から伊平屋島や伊是名島に向かう航路は揺れるらしい。慌てて売店に向かった。

 これまで離島に向かうフェリーに何回か乗った。見すごしてしまったのかもしれないが、酔い止め薬は売られていなかった。ということは……。伊平屋島に向かう前から気分が落ち込んでいく。フェリーは1時間20分……。

 

伊平屋島に向かう「フェリーいへやⅢ」。立派なフェリーだ

 

 フェリーは定刻に出港した。右手に古宇利島を眺めながら進んでいく。

 運天港は太平洋戦争中、魚雷を隠した港として知られている。島や半島に囲まれた港は穏やかだ。しかしこの外へ出ると……。

 船内を歩くと、スタピライザーという揺れ止めがついたフェリーだという説明があった。その効果にすがるしかない。

運天港ターミナル。沖縄らしいゆるい空気を想像してみてください