文と写真/室橋裕和

 

 アフガニスタンとパキスタンの国境沿いには、どの国の統治も及ばない無政府エリアが広がっている。テロリストの温床ともいわれるその危険地帯には、違法な品々を堂々扱うマーケットがあった。麻薬や銃器があふれる国境デンジャラス市場を探索する。

※この記事は2016年12月初出のものです。

 

■戦火のアフガニスタン、銃声の記憶

 

 「これはもう、生きて帰れない……」

 

 僕は半泣きで、その迷宮の中を引き回されていた。

 行きかうヒゲづらの男たちは皆、ただひとり扁平な顔をしたモンゴロイドを警戒と憎しみと敵意の目でにらみつけてくるのである。ライフルを背中に背負ったやつ、平然とマリファナをふかしているやつ、なにやら戦闘服の一団……。

 案内役の男は言った。

 「カメラはしまえ。殺されるぞ。それから笑顔を忘れるな。フレンドリーにいけ。俺があいさつした連中とはにこやかに握手をしろ」

 そんなことを言うが、握手を拒否する男すらいるのである。応じてくれる人だって冷然きわまりない固まったような無表情の仏頂面で、その手に力はない。どうみたってイヤイヤだ。僕はこの巨大なマーケットの中でただひとりの異教徒であり、異物であった。

 アフガニスタンとパキスタンの国境に広がる国際市場、スマグラーバザール。なにをトチ狂ったか僕は、アメリカ率いる多国籍軍がかの9.11の報復戦争に打って出たその真っ最中に、戦火のアフガニスタンを訪れてしまっていた。

 若かった。某週刊誌で記者をやっていたこともあり、一発当てたいという気持ちもあった。しかし編集部には社内スタッフの職務でのアフガン渡航は禁ぜられ、ふざけんじゃねえよとばかりに夏休みを利用して勝手に戦地まで来てしまったのであった。

 後悔した。降り立った首都カブールの空港には米軍の戦闘ヘリ・アパッチが並び、街は空爆と戦闘で荒廃し、外国人は兵士と国連職員しかいなかった。夜になると銃声がこだまし、重い爆発音が響いた。

 

カブールは中心部を離れるとこんな光景が延々と続く。古代遺跡のようだと思ったが、現代の戦争の傷跡なのだ

アフガニスタンの人々はとにかくフレンドリーだった

 

 小動物のように震えながら、それでも各地を見聞し、バーミヤンの破壊された大仏やらジャララバードの街やらを取材しつつ、逃げるように国境を越えてパキスタンに這い出したのであった。

 しかしパキスタン側も安息の地ではなかった。アフガニスタンとの国境沿いは、パシュトゥン人を中心とした部族たちが好き勝手に統治するフリーダムな世界。政府なんぞクソくらえ、ここじゃ俺たち部族の掟がルールなんだぜ……という世界でも稀に見る無法地帯、アナーキズムの極地、リアル北斗の拳ワールドであった。この無政府エリアはタリバンを生み育てる温床ともなっている。

 いまではここもアメリカの無人機がブンブン飛び回り、怪しい連中を片っ端から爆撃しているが、当時はアホな日本人旅行者が訪れるだけの余地はまだあった。現在このあたりを旅することはできないが、アフガン戦争当時はまだ牧歌的だったとさえいえるのかもしれない。なんだあの異教徒は、と敵意の視線で見られても、運が悪くなければテロルの対象になることはなかった。

 そんな部族エリアの中心都市、ペシャワールのボロホテルのロビーでカワチャイ(アフガン名物の砂糖入り緑茶)なんぞ飲んでいると、ウサン臭い男が話しかけてきたのだ。

「お前こんなとこまで来たんだから知ってるだろう、スマグラーバザール。あそこにはなんでも売っているんだぜ。世界でいちばん熱い市場だ」ねっとり熱い息とともに耳元に囁きかけてくる。

 アフガニスタンを経由して密輸されてきた商品が並ぶといわれる世界屈指の違法市場の存在は、旅の間あちこちで聞かされてきた。行きたいと思っていた。

 ただしペシャワール郊外から、市場の広がるアフガン国境にかけては部族エリアであり、異教徒および外国人の身の安全はパキスタン政府の関知するところではない。法律も及ばない。そこで俺がガイドしてやるぜ、日当はたったの50ドル、安いもんだろ……というのが彼の商売であった。

 

アフガニスタンとパキスタンの国境ハイバル峠。シルクロードの昔から交通の要衝だ

巨大仏はタリバンに爆破され、空洞になってしまった。いまでは政府軍がバーミヤンの治安を守っている