■日本茶はもっといける

 

 1992年、ようやく再来日を果たしたものの、ソムリエとしての仕事は得られず、老舗紅茶専門店で働くことになった。世界各地の紅茶を中心に紹介するその店では、中国茶や日本茶も扱いっていた。ソムリエである私は、世界各地の茶葉を並列的に分析し、それぞれの評価をしながら茶葉についての知識を深めていった。当時の私にとって日本茶は特別なものではなく、その中の一部にすぎなかったのだが、ある日いただいた煎茶との出会いが、私の日本茶との向き合い方を変えた。

 初めて心から「おいしい!」と思った日本茶は、ある旅館で出してもらったものだった。

 旅先で旅館にチェックインすると、まずは仲居さんが部屋へ案内してくれる。旅の荷物を置いて座布団に腰を落ち着けると、目の前の座卓には茶筒、急須、茶碗、ポットが置かれている。仲居さんは、旅館の使い方や周囲の案内をしながらごく自然な流れでお茶を淹れてくれる。そのお茶を口に含んだときに、「ああ、おいしい」と声が出てしまった。それは深蒸しの煎茶だったのだが、その鮮やかな水色、湯気とともに立ち上る香り、口いっぱいに広がる苦味と旨味が私の五感全体を満たした気がした。

 知らない土地に来た緊張をほどき、我が家にいるようなくつろぎへ誘う湯気の香り。旅の疲れをピリッと回復させてくれるような少しの苦味。

  それからの私は、夢中になって日本茶の勉強を始めた。産地や製法で異なる水色、香り、味わいのヴァリエーションの多さも驚くべきものだった。

 さまざまな料理に日本茶を合わせる実験もしてみた。意外なことに、その繊細な味わいは、日本料理だけでなく、中華料理にも西洋料理にも合うことを発見した。

「日本茶は、ひょっとすると世界中で受け入れられるソフトドリンクにもなるかもしれない!」

 そんな私の思いとは裏腹に、紅茶やコーヒーなどに押されるように日本茶の存在感はどんどん薄くなっているようにも思った。

 

 その後、ブライダル業界でコンサルタントをするようになった私は、そんな思いをさらに強くした。パーティーで出されるソフトドリンクは、ウーロン茶かオレンジジュースがほとんどだった。日本茶が選択肢にのぼらないことが不思議だったが、温かい日本茶を出すのは大変だし、西洋料理とは合わないという思い込みがあるのかもしれないと思い直した。

 「いや、違う」

 私は考えた。

 披露宴の列席者の中には、孫の晴れの日を楽しみに田舎から出てきたおばあちゃんがいるかもしれない。彼女が食事のときも一息つくときも日本茶を飲むような日常を過ごしていたら。

 「いつもと違う場所、見慣れぬ料理に緊張している中、彼女の目の前に日本茶が出てきたら、きっとリラックスしてパーティーを楽しめるに違いない」

 私は冷たくした煎茶をワイングラスに入れてみた。すると、ゴールドに近い煎茶はまるで白ワインのように美しく、西洋料理のテーブルにぴったりなじんだのだ。

 「味わいの繊細さが料理の邪魔をしないだけじゃない。出し方の工夫をすればどんなテーブルにも合わせられるんだ。それをアピールすれば日本茶は世界のソフトドリンクになれる!」

 日本茶の価値を確信した私は、さらに日本茶を知るために、生産の現場を訪れることにした。

 

水出しワイングラス

 

写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト

「ステファン・ダントンの茶国漫遊記」vol.01(2017.4.3)

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