文/ステファン・ダントン

 

 東京で働くようになって25年あまり。日本茶専門店を始めたのが2005年のことだから、すでに12年以上「日本茶がより広い世界にはばたくためにはどうしたらいいのか」を考え、毎日忙しく活動している。「これは!」と思った茶葉があれば生産現場を確認したくて茶農家を訪ねる。講演やアドバイスを求められることも多いから日本各地、そして海外への出張も日常だ。東京にいたって打ち合わせやらなんやらであちこちに飛び回っている。

 仕事のあいまに少し時間ができると散歩をする。毎日過ごしている東京がどんどん更新される様子を見ながら歩く。心の中に浮かび上がってくる自分をとりまく慌ただしいあれこれを整理しながら歩く。                                    

 

■日本茶カフェは

 

 東京にいるかぎり「ちょっと一服」する場所には困らない。どこにだってコーヒーチェーンのどれかがある。コーヒーが飲みたくなくてもなんとなくコーヒーを飲むことになる。そんなとき考える。自問自答する。

 日本人の「一服」とともにあるのは日本茶じゃないのか?

 

 「日本茶カフェがどこにでもある」というのが自然じゃないのか?
 「日本茶は家でゆったりくつろいで飲むもの」あるいは「家と同等のくつろぎを提供する、という意味あいなのか、旅館やレストランでサービスされるもの」だから、「お金を払ってまで飲まない」と考える人が多いということか。「お金を取れない」からビジネスになっていないのか。

 

コーヒーチェーン店にて、コーヒーを飲みながら考え込む私

 

■自販機で日本茶

 

 東京のまちを歩く。水分補給をするのに困ることはない。どこにでもあるコンビニエンスストアや自動販売機で缶やペットボトル入りの飲料が買えるから。

 

まちのいたるところに設置された自動販売機で、何を買うか迷う私

 

 清涼飲料水と缶コーヒーばかりだったところに烏龍茶や紅茶に続いて缶入りの緑茶が登場したのは、私が日本に初めて来たころだから1980年代だろう。あのころは「お茶」を外でお金を払って飲むことに対する抵抗感が今よりも強かったはずだが、あれから30年以上たった今では緑茶をペットボトルで手軽に飲める飲料として認識している若者も多い。

 日常の飲み物としての日本茶の現代的な形での復権ではあると思う。でも……。

 ペットボトルで日本茶を選んでいる若者が、自宅でお茶をいれるようになるだろうか? 日本茶そのものに関心をもつだろうか? 日本茶専門店に足を運ぶだろうか? そうなってもらうにはどうしたらいいのか?