文と写真/丸山理奈

 

はじめに​
(*本記事は2019年01月19日初出のものです)  

 

旅をする理由

 

 旅が好きになったのはいつだろう?

 今では旅が人生の一部になっていて、なくてはならないもの。

 気がつけば旅をしているが、この連載を機に改めて振り返ってみる。

 子供の頃から洋服が大好きだった私が無事プレスになって3〜4年目の頃。

 その時担当していたレディースカジュアルブランドの15周年ということもあり、

 仕事がピークに忙しく、毎日夜中まで仕事をしているか人と逢っていた。

 家には寝に帰るだけ。楽しかったけど目まぐるしい毎日を送っていた。

 そんな時、父が亡くなった。

 父の死をきっかけに自分について仕事について見つめ直した時、上京して丸8年。東京にも慣れてきて、でも少し飽き始めていた自分がこの先「居る」場所はここで良いのだろうか?と考え始めた。

 そんな時、子供の時からずっと興味のあった海外へ再び目を向けるようになった。

 「留学したいなぁ。」と漠然と思ってたのに実現できないまま20代後半に突入している。

 (本当に直感でしかないなのだけれど、)

「仕事を辞めてLAに行ってみよう。

その後長野に住んでみよう。」

 と思った。

 2010年12月、会社を辞めLAに出発した。

 West Hollywoodから車で10分位。ユニバーサルスタジオや映画の撮影スタジオが多くある「Studio City」の語学学校の寮を拠点にした。

 英語にはもちろん苦戦したけれど、沢山の出逢いもあり刺激的な毎日を過ごしていると一瞬で3ヶ月が経った。

 そんな帰国の3日前、友達の家でたまたまつけたTVで日本の地震と津波のニュースを見た。

 東日本大震災だった。

 アメリカは津波の情報が中心になっていたので日本とまた違う報道に何が正解か分からず焦りつつも帰国が迫っていた。

 日本にいる友人からも「ビザを延長できるなら帰国を延ばした方が良い」と連絡をもらう。

 ひとまずビザの延長ができないかDown Town内のLittle Tokyoにある日本国総領事館に行って問い合わせてみた。

 「家はあるんですよね? 家が震災で無くなってしまった等の理由以外は延長できません。」とあっさり断られた。

 そうだよね、そう簡単には行かないよね。

 日本の状況がアメリカにいると全然分からず不安しかなかったけれど、このままアメリカに残る事も出来ないので予定通り帰国。

 日本に着いて予想以上の残酷な状況にただただ呆然としたのを覚えている。

 帰国後は一旦実家のある鳥取に帰省した。

 世の中が少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた5月。

 2ヶ月の実家待機を終え、もともと予定していた長野に移住した。

 今でこそ二重生活や田舎暮らしがブームになりつつあるけれど、当時そんな人はほぼいなく、しかも女1人でいきなり長野移住!(←私的には計画的だけど側から見たらいきなり!?という反応)

 友人や仕事関係の人たちに「どうして長野へ急に?」「何で長野?」などと頻りに聞かれた。

 理由は「何となく自分がいるべき場所が長野な気がしたから。」笑。

 ここから5年間の長野ライフが始まる。

 そしてここから「#丸旅」が始まったのかもしれない!!

 

 

 

 

*「 旅先の朝ごはん~ BREAKFAST ON A JOURNEY~ #丸旅」vol.00(2019.1.19)

 

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