その開発力は和菓子だけにとどまらず、洋菓子分野にも及んだ。

 先に述べたラカントを使い、地元の特産品である日向夏やへベス、柚子、金柑のジュレや同じく低糖質のスポンジケーキやガトーショコラを展開。

「ガトーショコラ」

 さらに上田社長は「和菓子店の命」ともいえる「あんこ」にも革命の手を入れた。

 あんこ作りの名人との出会いによりそれまでの製餡方法を180度変えてしまったのだ。

 代々味を受け継いできた老舗の和菓子店にとっては一世一代の賭けであったが、これが大きく当たった。

 そしてこの「あんこの革命」は、新商品開発のさらなる布石になり、虎彦はさらなる発展を遂げていくのである。

 「誰もが知っている平凡な菓子を誰もがわかる非凡な菓子に」

 この言葉が3代目虎彦の信条でもあり、実際に上田社長「「ものづくりへのこだわりと革命」を躊躇なく進めてきた。

上田社長夫妻

 さらに、虎彦のものづくりへのこだわりは菓子という中身だけでなく包装紙にまで及ぶ。

 郷土の歌人若山牧水の短歌を白く染め抜いた包装紙は四国愛媛の和紙で上質感を醸し出す。先代社長が昭和38年に牧水のご長男にお許しを得て以来今日まで使っているエンジ色の包装紙。虎彦のこだわりは「親譲り」だったのだ。

 そんな上田社長のものづくりへの姿勢と虎彦の開発力が他企業の目に留まらないはずはない。

 あるとき、大手の食品配達チェーンから大量の和菓子の受注依頼がくる。

 もちろん、すべて「買い取り」である。

 地域に密着した店頭販売と大手食品配達チェーンによる大量の和菓子の買い取りと全国展開。

 まさに記念すべき創業70年は虎彦にとって「飛躍の年」であった。

 しかし、そこに「新型コロナ」が襲いかかった。