■ムヒカが脱獄に成功した刑務所はオシャレなショッピングモールに様変わり
「次は、プンタ・カレータスに行きます」
私たちが元刑務所を出て車に乗り込むと、すでに助手席に座って待っていたダニエルが言った。
「プンタ・カレータス」とはエリアの名前で、かつては、区域内の、ある施設のせいで、あまりいい印象を持たれていなかったという。
しかし、再開発によって生まれ変わり、モンテビデオ随一のオシャレなショッピングモールやラグジュアリーなホテル、アッパークラスのレストランなどが建ち並び、現在では、市内でもっともトレンディなゾーン。東京で言うと汐留周辺に該当するらしい。

ダニエルが、このプンタ・カレータスに行こうとしたのは、廃墟の独特な〝気〟に当てられて、落ちてしまった私たちのテンションを上げてくれようとしたわけではない。彼は、「ムヒカゆかりの場所に行きたい」というこちらのリクエストに、あくまで忠実に応えようとしていただけなのだ。
そう、つまり、このエリアもまた、ムヒカに関係がある場所ということ。
かつて、プンタ・カレータスには刑務所があった。
極左武装組織『ツパマロス』に参加してゲリラ活動に従事していたムヒカは、4度の逮捕を経験し、その度、刑務所暮らしをしているが、最初に収監されたのが、その「プンタ・カレータス刑務所」なのである。
この刑務所には、ムヒカ以外にも、政治犯としてツパマロスのメンバーが大勢収容されていた。1971年9月、ムヒカは、その同志たち約100人とともに、40フィート(12メートル強)のトンネルを堀って、集団脱獄を成し遂げたのだった。
私たちは、その、ウルグアイ史上最大の脱走劇が繰り広げられた刑務所に行こうとしていた。いや、刑務所は1986年に閉鎖されているから、厳密には〝元刑務所〟へ。
そこは、ここに来る前に訪れた廃墟の元刑務所とは対照的だった。
刑務所の建物をそのまま生かし、しかし、刑務所の暗い影を一掃して、きらびやかなショッピングモールに生まれ変わっているのだ。
〈Punta Carretas Shopping〉
この文字が掲げられた城門のような立派な門を抜けるとすぐに、それぞれパティオ席を持つ、右にはレストラン、左にはファストフード店があるが、これらが入る建物は、かつては刑務所管理棟だったという。
門をくぐると、正面には瀟洒な建物。これがメインビルディングで、刑務所時代なら〝本館〟といったところ。内部は、1階の通路が吹き抜けのような開放感のある造りになっていて、その通路を囲むように、アパレル、シューズ、コスメ、ジュエリーなど国内外の様々なショップがひしめき合っている。通路は刑務所時代の踊り場、ショップが入っているところは独房だったらしい。
基本的な構造は刑務所時代のまんま。でも、今、その暗い影はどこにも見当たらない。





1910年代に開設されてから、ホセ・ムヒカを含め、無数の政治犯を収容してきた「プンタ・カレータス刑務所」。特に、独裁の軍事政権時代の70年代、80年代は、ウルグアイの政治犯のもっとも重要な監禁場所として機能していたが、1985年に軍事政権が倒れると閉鎖が決まり、その翌年の1986年には70年以上の歴史に幕を閉じた。
それから9年後の1994年、独裁政権を象徴していた刑務所は、「プンタ・カレータス・ショッピング」として生まれ変わり、新しい民主的なウルグアイのシンボルとなった。
私たちが訪れたとき、大型連休の真っ只中で、他のエリアには人があまりいなかったのに、このモールは、若者からお年寄りまで、買い物を楽しむ、大勢の人で賑わっていた。
——貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです。
——スーツケースはいつも軽めで必要なものだけ。物を持つことで人生を複雑にするより、私には、好きなことができる自由な時間のほうが大切です。
私の脳裏に、ムヒカの名言の数々が甦る。
モンテビデオ一の高級ショッピングモールと言われるこの場所で、あふれる物を前に目をキラキラ輝かせる人々。
「世界でもっとも貧しい大統領」は、その様を見て、何を思うのだろうか。