■街にムヒカグッズが……ない! 盛者必衰のことわりか!?
その後も、私たちは、インタビュー取材の合間にムヒカゆかりの場所を訪れた。
例えばウルグアイの歴代大統領の住まい。ムヒカが大統領時代に住むことを拒んだという、あの公邸だ。ぜひ見ておきたいと思っていたのだが、取材に行く途中で近くを通り掛かったため、車を停めて、外から見させていただいた。
例えば、ムヒカが銃撃戦の末に逮捕されたバー。
既述したように、ムヒカは何度も逮捕されているが、一度などは、警官隊から6発の銃弾を受けて生死の境をさまよった。金融機関を襲撃する計画を練っているとき、密告によって警察に包囲され、ムヒカが持っていた銃で抵抗したために打ち合いになったのだ。
舞台となったバー『La Via』は、21世紀に入ってからも同名で存続し、のちに名前を『VIA BAR』に変えて営業を続けていたというが、私たちが訪れたときには、改装中なのかどうか、店は閉まり、窓から中をのぞくと、イスやテーブルが取っ払われ、床には工具のようなものが乱雑に置きっぱなしになっていた。




モンテビデオ滞在中は、車に乗っていても、歩いていても、ときには意識的に、ときには自分でも気づかぬうちに、私は〝ムヒカ〟を探し求めていた。
街中で「José Mujica」「pepe」といった文字や、ムヒカの顔写真入りのポスターなどを見かけると、歩いているときなら、つい立ち止まってしまったし、車で移動中だったとしても、ダニエルや通訳の森さんに
「あれは何?」とたずねたりしていた。
しかし、そうした機会はそう多くはなく、ちょっと拍子抜けしていたのも事実。
キューバの首都ハバナでは、国の英雄であるチェ・ゲバラの写真やイラストが至るところで見られる。それと一緒にしたらキューバの人に怒られるかもしれないけれど、ちょうどそんな感じで、モンテビデオの街にはムヒカの名前や顔があふれている、と、私は想像していたのだが、まったく期待外れだった。
大統領就任中は、あちこちでムヒカグッズが売られていたとも聞いていた。
実は、それらをゲットすることも密かに楽しみにしていたというのに、グッズにもほとんどお目にかかることはなく。
私たちが訪れたときには、ムヒカが大統領職を退いて一年が経っていた。しかし、そうは言っても、あれだけ世界を沸かせた人である。ゲバラほどではないにしても、もうちょっとは……。
「えっ!? なんで今さらムヒカなんですか?」
私が彼を取材するために日本からやって来たと知って、驚いたような、呆れたような反応を示した現地の人もいた。
その頃、日本におけるムヒカ人気は爆発前夜だった。にもかかわらず、本国では、すっかり過去の人になっていたのか。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす——。
むかしむかしに暗記した平家物語の一部が、不思議と、スラスラ頭に浮かんだ。
しかし、それでも私は、〝ムヒカ〟を求めて、モンテビデの街を、あるときはキョロキョロし、あるときは東奔西走したのであった。
その甲斐は……。
はい、少しはあったようで。








2015年7月に発売し、ベストセラーとなった『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』に続く第2弾。
今や、その生き方や言葉は人類の財産になろうとしているウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏。今春、日本を訪れたムヒカ氏は日本でもさらに注目されましたが、本書は、ウルグアイでのムヒカ氏本人への単独取材も含め、現在の日本人の心に響く名言を集めたものです。


“世界でもっとも貧しい大統領"ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ。その妻は、国会議員のルシア・トポランスキー。ムヒカに寄り添い、いつも穏やかな微笑みを浮かべる彼女だが、かつてはゲリラ戦士だった。裕福な家庭の娘として育った美少女が、なぜ革命家になり、どう今に至るのか。信念の女性ールシアの波乱万丈な人生を追った一冊!


退任したホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領が、2012年のリオ会議での感動的なスピーチを中心に「世界一貧しい大統領」として日本でもブームとなっています。本書は、冒頭にそのスピーチ全文を掲載。そして彼の他の演説やインタビューの中から名言をピックアップして、
ホセ・ムヒカ氏の人となりと思想、生き方をわかりやすく解説します。


ウルグアイはブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国(面積は日本の約半分)。首都モンテビデオからアルゼンチンの首都ブエノスアイレスまでは飛行機で1時間弱の近さだが、両都市を挟むラ・プラタ河をフェリーで行く方法もあり、高速艇なら3時間ほどで行くことができる。