サラゴサ万博にて日本館に人が集まっている様子    

サラゴ茶ラベル案 提供したお茶のラベルデザイン

 

■サラゴサまでは遠くて

 

 それから翌2008年6月1日まで、準備期間の8ヶ月間は思ったよりも大変な毎日だった。

 “サラゴ茶”の開発そのもの。緑茶やオレンジピールなどのフレーバー材料の選定をし、ブレンドをし、試飲を繰り返す日々。ようやくできあがったものを輸出するにあたっての手続きにはまいった。ただでさえ厳しいEUの基準をクリアしなければならない上に、2007年の暮れに起こった中国毒入り餃子事件によって、さらにデリケートな対応を余儀なくされた。

 日本館の入り口で提供する“サラゴ茶”の配布エリアの概略が決まる。1日の、1時間ごとの来館者の予想が出る。用意する水出し茶を製作する、カップへ入れる、配布する、片付ける。必要な茶葉の量、人員やフォーメーションを毎日徹夜でシミュレーションした。

 冷蔵庫やタンクやカップは現地調達することにした。日本から送るのは茶葉だけ。

 茶葉だけとは言っても、93日間の会期中に必要な茶葉は735kg。日本館の公式飲料に与えられた予算は多くなかった。そこで私は、JETRO役員とともに、茶産地である静岡県の島田市と川根町を訪れ、市長たちと直談判して、茶葉を協賛してもらうことにした。

 

 「水はどうする? 日本は軟水、スペインは硬水だ。日本から送るか、軟水を調達するか?」

 日本茶は水にこだわらないと、という思い込みがみんなにあるようだった。

 「現地の水を使うよ。スペインでスペイン人が飲むんだ。もし日本茶のおいしさに気づいてくれた人がいても、軟水でなければいれられない、なんて思ってしまったら、日本茶はスペインで広がらない。スペインの水でいれた日本茶をおいしいと思ってくれればいいんだ。それでようやく日常の飲み物の選択肢になる可能性ができるんだ。そして、いつか日本へ来たときに、日本の水でいれた日本茶はやはり一番おいしい、と実感してくれればいいんだ」

 こんなふうに私は言った。

 「水出し茶を作るスタッフも現地で採用しよう。スペイン人が飲むものはスペイン人が作るほうがいい」

 

サラゴ茶の現地製作スタッフに囲まれたステファン(左)、サラゴ茶を提供するブースの様子(右)                    

       

■ヨーロッパへの帰郷

 

 2008年4月、国際博覧会のパヴィリオンも着工し、日本側の準備も整いつつある中、私は現地調査のためにサラゴサへ向かった。日本とスペインをつなぐお茶を作っている、日本茶を世界に広める一翼を担いつつある、という自負と緊張を抱えながら。

 日本で暮らし、仕事をし、たまに帰郷をしていたつもりだっが、気づけばもう6年以上母の顔も見ていなかった。この最初の出張では、故郷リヨンへの帰省はかなわなかった。それでも久しぶりのヨーロッパだった。心が高鳴った。 

 成田からアムステルダムを経由してまずはバルセロナへ。陸路でサラゴサへ向かう。沿海部のバルセロナから内陸へ向かうと周囲は茶色い砂漠の中にサラゴサの街が現れる。からりと乾いた空気、強い光、上を向いて歩く人々。

 「この人たちに日本茶を飲ませるんだ!」

 そんな思いを新たにした。

 

サラゴサ旧市街の様子                     

サラゴサの街を行き来する人々と街の様子