■日本とリヨンとサラゴサと

     

 2008年6月14日に開幕したサラゴサ国際博覧会の準備や運営のために、私がサラゴサを訪れたのは全部で5回、それぞれ2週間程度現地に滞在した。

 日本からヨーロッパは遠い。成田から12時間も飛行機に乗ってようやくパリに着く。サラゴサへ合理的に向かうならばそこから空路でバルセロナへ、さらに乗り換えてサラゴサに行くのが普通だろう。でも、私は初回のごく短期間の調査以外では、すべてレンタカーを借りて、陸路パリーサラゴサ間を往復していた。

 「故郷リヨンやプロバンスの別荘や親戚の家に寄り道しやすい」し、「現地サラゴサに着いてからの生活のために車があったほうが便利」だから車で移動していた。「変わっていく風景や空気感を感じるため」という、ちょっと詩的な理由もあったが。

 まずは、パリから故郷リヨンまで400㎞以上。かつてはパリに住んでいたこともあるから慣れた道だ。リヨンで母や旧友と会う。私はホテル経営を専門とするリセに通っていたし、料理やワインを生業とする友人が多い。彼らと旧交を温めつつ、マーケティングもする。

 リヨンからサラゴサまではおよそ900㎞。フランス中部に位置するリヨンからアビニヨン方面に南下する。途中、ときにはプロバンスの別荘やマルセイユの友人を訪ねたりもした。地中海に沿った道路を西に向かってスペインとの国境に近いペルピニャンを通過する。地中海の青い空の向こうに見えるピレネー山脈を越えればバルセロナまであと少し。バルセロナも地中海沿いの明るい緑の多い街だ。ところが、サラゴサに向かうにつれて、あたりが茶色の大地に変わっていく。サラゴサは多くのマカロニ・ウエスタンの撮影地にもなった砂漠地帯を抱えている。乾燥した風と強い太陽の中にサラゴサの街はある。私が生まれ育ったフランス中部とも、もちろん日本ともまったく違う風土だ。

 

プロバンスの広い大地車での移動中に立ち寄ったプロバンスの風景

プロバンスの親戚宅プロバンスにいる親戚宅を訪問

プロバンスの親戚宅で母とプロバンスの親戚宅前で母親と撮影

サラゴサへ向かう途上のレストランサラゴサに向かう途中にレストランで休憩。窓から景色を望む

サラゴサへ向かう道 サラゴサへ車で移動中の光景。

      

■私のオリンピック選手村

 

  サラゴサ国際博覧会の会場は、歴史あるサラゴサ旧市街からエブロ川を挟んだ対岸に建設されていた。各国のパヴィリオンの中の日本館も含めて、会期が始まる少し前までどこもかしこも建設中だったけれど、「開会までに形になればオッケー。問題ない」と不安がる同行者にこう言うとき、「私はやっぱりヨーロッパ人だなあ」と思ったりした。

 各回10日間あまりの滞在中、私やJETRO、デザイン会社、施工会社、広告代理店といった運営関係者はみんな会場から12㎞ほど離れた宿舎に滞在していた。言って見ればオリンピック村のような感じで、さまざまな国の関係者が同じビルの中に住んで、そこから会場に出勤していたのだ。

 宿舎の窓を開け放つと、乾いた風と一緒にいろんな音が聞こえてきた。いろんな匂いが入ってきた。アジア、アフリカ、ヨーロッパ。さまざまな話し声のメロディとリズム、ラジオの音、食事の匂い。国際博覧会の会場には世界中の文化が展示されていたが、宿舎も世界の文化が詰め込まれているおもしろさを感じた。窓越しに感じるだけではなく、長い滞在中には、ナイジェリアやベトナムの人と親しく話をするチャンスもあった。

 会場と宿舎はシャトルバスで結ばれていたから、たいがいの関係者はそれを利用していた。職場と家の往復のみといったところだ。私は車があったから、ときには仲間と繁華街に繰り出したり、カルフールに出かけて食材やワインを買い込んだり、仲良くなったスペイン人宅のホームパティに参加したり、かなり自由にサラゴサを楽しんでいた。

 もちろん、会場にも車で通勤していた。会場から徒歩5分ほどのフリーパーキングに車を止めていたのだが、実に都合のいいことに、ごく近くに市営プールがあった。会期中、大事な場面(開・閉会式とかジャパンデイとか)には、当たり前だが必ず現場にいたけれど、実はかなりの日数プールで過ごしていた。人生の中で一番泳いだ日々でもあったのは今だから言えることだ。もちろん携帯電話は常にオン。呼び出しがあれば5分で駆けつけられる距離だったし、一度も呼び出しはなかったが。

サラゴサ旧市街でワインをサラゴサの旧市街にてワインを