■私にとってのオリンピック

 

 6月21日に開幕したサラゴサ国際博覧会。日本館の入り口には透明のカップに入れられた“サラゴ茶”が並んだ。入館者はまず、入り口で“サラゴ茶”を手に取る。

「どうだろう、受け入れてもらえるだろうか?」

 最初はドキドキしたが、カップを鼻先に口元に持っていった多くの人の顔がほころぶのを見て、安堵した。

「いい香り!」

「グリーンなすっきりした味ね」

「おいしいわ」

「どこで売っているの?」

 感想を聞くたびにうれしくなった。 

 準備期間に考え抜いたオペレーションは、常に12リットルの水出し茶のタンクを3つ用意し、トレイに乗せたカップに補充していく。それを実行するのは現地で採用した3人の女性たち。お茶をいれ、保存し、タンクへ移し、カップにサーブする。重いタンクを上げ下げするだけでも重労働だったが、現地のホームセンターで調達したシャワーブースの床が役に立った。床高を上げると同時にタンクの移動もスルッと楽になった。綿密に考えたオペレーションや施設に、現地で気づいた問題をその場で解決しながら、スタッフたちとともにたくさんのお客様に“サラゴ茶”を振る舞った。気づけば、93日間の会期中97万杯もの“サラゴ茶”を提供していた。

 日本館を訪れるのは、サラゴサ周辺の人、スペイン人を中心としたヨーロッパ人が主体だった。日本からも関係者やマスコミが訪れた。私にとって忘れられないのは、茶葉を協賛してくれた川根町長が来てくれたこと。“サラゴ茶”がどんな産地で作られた茶葉なのかを紹介してくれたことだった。また、7月21日に行われたジャパンデイには皇太子殿下が来館され、“サラゴ茶”を召し上がってくれたときには、なんだかこれまでの努力が報われたような気がした。

 「日本の農産物の中でも最高の素材、日本茶をヨーロッパ人の嗜好に合わせて手に取らせ、口に入れさせるために現地のフレーバーをブレンドする」というアイディアをさまざまな人の助けを借りて実現することができた。私にとって大きな一歩だった。金メダルにはまだまだだが、オリンピックに参加できたような、そんな誇らしい気持ちになったものだ。

 

”サラゴ茶”を口にする来場者“サラゴ茶”を口にする来場者(左)。サラゴサ日本館入口にて”サラゴ茶”を提供(右)

サラゴ茶製作の現場。足元にはシャワー、冷蔵庫、タンクを用意し製作した

      

■本当に相手を考えた商品開発

 今思えば、国際博覧会の公式飲料、しかも日本茶を、フランス人である私に作らせた運営責任者はすごい冒険をしたものである。

 日本茶の当たり前を、日本茶の伝統を、心の中に固まった状態で持っていなかった。未開拓のマーケットが世界に広がるすばらし素材として捉えていた。伝統を、当たり前を提示するだけでは文化は広まるかもしれないが、マーケットは広がらない。それぞれの場所でさまざまな人が各々のシチュエーションでどんな楽しみ方をしたいか、それに合わせて素材にアレンジを加えることで、手に取ってもらえると思う。アレンジ抜きの素材としての日本茶への関心はそこから先に生まれるはずだ。そんな私の考え方をまっすぐに捉えてくれる人がいたからこそ、“サラゴ茶”は成功したのだと思う。

 サラゴサでは、これまで馴染みのなかったであろう日本茶に、現地の人に親しみのあるバレンシアオレンジのフレーバーを加えて、口元に持っていくための仕掛けをした。日本茶を、ただ珍しい外国のドリンクではなく、もしかしたら毎日の生活の中にもあっていいと思えるドリンクだと思ってくれた人も少なからずいた。

 サラゴサ万博が閉幕してしばらくすると、スペインやフランスから注文が入るようになった。少しずつ、少しずつ私の思いは形になっていく。

 さまざまな場所や人やシチュエーションを考えて作るフレーバー茶は、日本でも求められていた。私は、各地の茶産地の求めに応じて、その土地らしいフレーバー茶の開発もするようになっていく。その一方で、アメリカ、タイ韓国といった海外へもフレーバー茶の開発やプロモーションのために出かけていくようになっていった。そんな話をまたこれからしていきたい。

                      

写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト

「ステファン・ダントンの茶国漫遊記」vol.5、6  (2017年6月5日、19日)

 

【新店舗】

東京都中央区日本橋人形町2-7-16 関根ビル1F
(東京メトロ日比谷線、都営浅草線「人形町」駅 A3出口)

おちゃらかHP(オンラインションップ併設)はこちら

 

■おちゃらかチャンネル(YouTube)はじめました。