■産地とのつながり、地域への貢献(叶わぬ夢もあったけど)

  

 吉祥寺という街から広く海外にも「日本茶の魅力と可能性を発信」することを目指した私の仕事が、さまざまなネットワークをつくり始めていた。

 生産者と消費者とをつなぎ、さらに行政ともつながって、産地と東京、さらに海外へと関係性を広げていた。

 日本茶の新たな魅力を発信することで産地に貢献したことは認められつつあったし、地元・武蔵野市にも貢献していきたい、という想いは常にあった。講演をすることも一つの方法だった。

 講演を担当したりして武蔵野市との関係が深まっていた2011年当時、ある計画を目指して市役所の担当者や市長と相談していた。

 「武蔵野市をお茶のまちに」という計画だった。

 静岡県は茶産地として有名だが、中でも山間地で生産される茶葉はすばらしい。ただ、以前にもお話ししたように山間地の茶農家の労働は過酷で、後継者が不足している。廃業を余儀なくされる農家に捨て置かれた茶樹も増えているのだ。茶樹は、苗木を植えてから収穫できるまでに5年かかるが、その後数十年収穫を続けられる。その茶樹が手入れもされずに放置されることが問題になっている。

 その茶樹を無償でゆずってくれるという話を聞いた私にアイディアがひらめいた。

 「武蔵野市の街路樹、施設あるいは住宅の植え込みとして活用してはどうだろう?」

 そう話すと、武蔵野市のある行政担当者は、「現在は少なくなったが武蔵野市を含む多摩エリアの植え込みには茶樹が多く使われていた」と教えてくれた。

 「単に植栽として利用するだけではなく、初夏にはこどもたちを中心に茶つみイベントをして、静岡から茶生産のプロを呼んで茶づくりの実演をしてもらったらどうだろう。日常的に身近に茶樹の成長を観察し、収穫し、生産の工程を知ることで、子どもたちへの食育にもなるんじゃないだろうか」

 このアイディアが実現すれば産地と消費地のつながりもできるし、産地にとっては廃棄茶樹の活用も将来の消費者育成もできる。東京の子どもにとっては自分たちの口に入れるものが生産される様子がわかる。それぞれが持っている問題が解決できると考えたのだ。

 実際、ある施設の改修にともなって植え込みに茶樹を利用できる可能性も出てきていたが、当時のさまざまな事情で残念なことに計画は頓挫してしまった。
 
 私が広げた夢、「日本茶の新たな可能性の模索と、産地と消費地の本当の意味でのつながりづくりへのチャレンジ」は、ときには失敗しながらも続いていた。
 

 

■生産地への想い

 

 振り返ってみると、2008年のサラゴサ国際博覧会に「サラゴ茶」を提供したことが、私にとってもおちゃらかにとっても大きな転機になったのだと思う。  

 博覧会を取材に来るマスメディアにも「フランス人ソムリエが開発したフレーバー茶」という目新しい存在として認知されたのだろう。このころから、テレビ、新聞や雑誌からの取材が増えていった。おちゃらかが

 「吉祥寺」という常に注目され続けるまちに立地しているのも取材者としては好都合だったのかもしれない。マスメディアに紹介されると、おちゃらかを目指して吉祥寺にやってきてくれるお客様も増えた。

 「これまで日本茶に親しまなかった人たちにも日本茶に関心をもってもらいたい。日本茶の豊かな世界への入り口をつくりたい」

 そんな思いで開発したフレーバー茶が注目されるのはうれしいことだった。

 「今注目されているフレーバー茶は、あくまでも日本茶への入り口。日本の豊かな自然に育まれた茶産地、地道に伝統的な生産をしている茶農家の存在があってこそ生まれる日本茶の味わいそのものにも関心をもってもらいたい」

 取材を受けるときには、私は必ず茶産地や茶農家の話をした。少しでも多くの人が産地や生産者と自分が口に入れるお茶との関係を意識してくれればいいと考えていたから。