文/チョン・ウンスク

 

 前回はソウル中心部にある古くて新しい巨大雑居ビル『世運商街(セウンサンガ)』周辺の歩き方について書いたが、今回は来年末までに世運商街から空中歩道で結ばれる南山の斜面にある注目エリア、解放村(ヘバンチョン)を歩いてみよう。

 

傾斜地にある新興市場(シヌンシジャン)から解放村のメインストリートであるソウォル路20キルを仰ぎ見る

 この町はすべてが傾いている
 学校の長い塀も その脇に駐まっている車も 電信柱も マウルバスも
 道端の石も すべてが傾いている
 収集されるのを待つゴミ袋も そこに落ちる雨も
 町工場も そこから流れるラジオの音も
 そして、なによりも道自体が傾いている

           ファン・インスクの詩『解放村 私の坂道』より

 はるか遠くの地からソウル南山の斜面に移り住んで来た人たちの町、解放村。 龍山2街(ヨンサンイーガ)や厚岩洞(フアムドン)というれっきとした地名があるが、70年前も、今も解放村と呼ばれている。上の詩のように、目に見えるものすべてが傾いているといっても過言ではない。歩くというより、登るとか降りるという言葉がぴったりくる。

 

解放村はこの10月、庭園博覧会(都市の庭園化プロジェクト)の対象地域となり、路地裏にまで多くの草花が植えられた

マウルバスに乗って 

 

 解放村に行く方法はさまざまだ。スタート地点は、地下鉄6号線の緑莎坪(ノクサピョン)駅、1号線の南営(ナミョン)駅、4号線の淑大入口(スクデイプク)駅などから選べるが、今回は厚岩洞に近い淑大入口駅5番出入口近くの停留場から龍山02番マウルバスに乗ってみよう。

 

地下鉄4号線淑大入口駅5番出入口近くの停留場に接近中の龍山02番マウルバス

 4番目の停留所で降りると厚岩市場(フアムシジャン)だ。この市場にもニュートロ(ニュー・レトロ)の波は来ていて、若者向けの店がぽつぽつでき始めているが、庶民の市場であることには変わりない。惣菜の店(パンチャンカゲ)の前で白菜に薬味を塗りつけているハルモニに釘付けになっている私に、「味見してごらん」と言いながら、手でキムチを口に入れてくれる情も健在だ。

 

厚岩市場のお総菜屋さんでキムチをいただく筆者

小説と映画『誤発弾』に描かれた解放村 

 

 ときおりソウルタワーで自分の位置を確認しながら解放村に向かって歩く。平地はほとんどない。緩急はあるが、ひたすら坂道が続く。

解放村の峠を登るには、あまりにもひもじかった。山の斜面をえぐって無秩序に配された掘っ立て小屋の群れ。チョルホは路地に入った。そこは米軍の野戦食を入れた木箱をバラして造った屋根が肩をかすめるくらい狭かった。

            イ・ボムソンの小説『誤発弾』(1959年)より

 小説『誤発弾』は、主人公チョルホの家族が住んでいた50年代の解放村の姿をリアルに描いている。1961年に公開された映画でもタルトンネ(山の斜面の貧民街)と呼ばれた解放村の姿が生々しく切り取られている。

 心を病み「カジャ(行こう)、カジャ(行こう)」と叫ぶ母、栄養失調の妻、朝鮮戦争で心身に傷を負って酒びたりになった弟、米兵相手に春をひさぐ妹……。チョルホ一家は半島の北側から逃げてきた朝鮮戦争避難民だ。

 

 日本植民地支配からの解放後、帰国した在外韓国人や、朝鮮戦争時に北側から南側へ一時避難したものの南北分断が固定化されて故郷に戻ることができなくなった人たちが定住した場所、それが解放村だ。当時は清渓川沿いをはじめソウルのあちこちにパンジャチョン(掘っ立て小屋の集落)があったが、解放村はそのなかでももっとも空に近い場所だった。

 60~70年代、北側の咸鏡道や平安道の方言が飛び交う解放村に、別の方言が混じり始めた。ソウルドリームを胸に上京してきた全羅道や慶尚道など半島南部の人々だ。韓国の工業化が進み、掘っ立て小屋はレンガの家になった。風が吹けば土ぼこりが舞い、雨が降ればぬかるんだ通りはセメントで固められた。