9月23日 [THU]

 二日酔い気味。今日もやーぐまいして黙々と仕事をする。合間に、熊本博之さんの『交差する辺野古─問い直される自治』(2021)を拾い読みした。新基地容認へと変わっていった沖縄・辺野古の複雑な地域性を浮き彫りにしている好著。

 一度だけ、外出をした。今日はぼくの「藤井誠二の沖縄ひと物語」が掲載されている「琉球新報」の発売日なので、コンビニへ買いに行った。今日は、沖縄の県産本をつくり続ける出版社「ボーダー・インク」の編集者・喜納えりかさんにご登場願った。琉球大学で政治学を学び、革新陣営にも関わってきた彼女は「沖縄のリベラル」を自覚しているが、彼女が感じる「沖縄のリベラル」は男社会で、男尊女卑的な体質を変えられないことへの厳しい指摘などを聞いた。

 

9月24日 [FRI]

 

 朝、新都心へ。ジャン松元さんと合流。ある女性を撮影する。予定ではこの女性が「琉球新報」の「藤井誠二の沖縄ひと物語」の最終回になる。思えば、長い連載になった。帰宅してからはひたすら仕事をする。インタビューの文字おこしを「慈しむように」、ゆっくりとやる。音で記録された言葉や間合いや空気感を反芻しながら書きつけていく。文字起こしはただの機械的な作業ではない。

 実弟の鉄の彫刻家・藤井健仁宛に包丁を送った。沖縄の鍛冶職人、知名定順さんが手打ちでつくった「カニマン鍛冶工房」の包丁。というより、刃物と書いたほうがいい存在感。戦後、沖縄ではクルマの板バネで造られた刃物が重宝がられた。いまは廃車になった軽トラの板バネを使うらしい。トラクターの爪なども使ったそうだ。鉄はとても貴重で手に入れることが難しかった。工房のある宜野座あたりの道の駅でその無骨な美しさに一目惚れし、衝動買いした。肉や骨を叩き切り、割る。斧のような感覚。手にずっしりとくる。ぼくのような軟弱者には使いこなせないまましまってのいたのが、今回たまたま目にして、握ってみたとき、これは鉄彫刻家の実弟に譲るべきだと思い、急ぎ送った。たしか入手したときに弟に知らせたら、刃物の専門誌で「カニマン鍛冶工房」特集ページをが組まれていて、それを送ってくれた記憶がある。

 

9月25日 [SAT]

 昼まで仕事をして、ジャン松元さんと合流。恩納村の海岸アポガマへ向かう。ある女性(と娘)を撮影に行く。彼女は子どもの頃、ここで貝や蟹などを撮っていた。潮たまりに残された熱帯魚が美しい。途中で雨が強くなり、岩場で遊んでいた米兵やカップルたちが巨大なガマの下に入ってきた。一向に雨足は弱まらないので、びしょ濡れになって、クルマに乗り込み、彼女の家におじゃまさせてもらい、ご両親にご挨拶。観葉植物の農家をされているので、広大なビニールハウスを見せてもらう。「一鉢もっていったらいいよ」とのお父様の笑顔に甘える。

 彼女は有名でも、何かに特別に秀でた人でもないが ─何か新聞ネタになるような人ではない─ 彼女の「人生」の断片を拾い集めて書き終えて、ジャンさんに見せたときに「ある意味でいちばん沖縄らしいね」と彼は言ってくれた。ふつう書き手は他者の「何か」を書こうとするわけだが、その何かが目立つような要素がなくとも、とてつない輝きを持っているとき、それをどう書くか。煩悶した原稿だった。彼女(と娘)には、ジャンさんとの共著本の書き下ろし・撮り下ろしでご登場願う。寝る前に映画「ジョーカー」(2019)を観たら、三時をまわっていた。

 

9月26日 [SUN]

 

 やーぐまい。文字起こし仕事をひたすら続ける。大切なインタビューはなるべく要約せずに、相手の息づかいまで記録していく。語り手の声の肌理に触れるような感覚。インタビュー中は気づかなかった、語り手の言葉の間や感情の揺れ動きを注意深く聞き取る。文字おこしをなるべく自分でやるようにしているのは、インタビューを追体験というか、自分も相手の言葉にどう反応しているかが、客観的にわかるからだ。だから、集中力が続かず、二時間のインタビューをおこすのに数日かかるのはざらだ。

 今日は誰とも話さなかった。夜になって、武田一義さんの漫画作品「ペリリュー 楽園のゲルニカ」(2016・全11巻)をキンドルで読み出す。かわいらしいタッチのキャラクターたちで描かれる戦闘の地獄。

 

9月27日 [MON]

  やーぐまい。昨日と同じ。インタビューの文字起こし。人々の言葉に埋もれる。腹がへると冷蔵庫に入っているものをつくって何かつくり食べ、パソコンの前にもどる。その繰り返し。今日も誰とも話さず。

 

9月28日 [TUE]

 

 午前中から、引きこもりなどを支援するNPO「ククル」で鼎談の司会。「ククル」で進めてきたプロジェクト ─「ククル」に関わっていた子どもたちの記録─ 「ククル」の主宰者の金城隆一さんと今木ともこさん、当事者の子どもたちから丹念に聞き取り、それをぼくが原作化し、沖縄在住の漫画家・田名俊信さんが描く。一部のプライバシーをのぞき、すべて実話。もちろん、「ネーム」の段階で子どもたちにも読んでもらい、丁寧に事実を確認してもらう。沖縄の子どもたちが置かれた現実のきびしさの断面を聞くと、胸が押しつぶされそうになる。鼎談には金城さん、今木さん、糸数温子さんにも参加していただいた。帰りに「武蔵屋」でラーメンを食べて帰還、ちょっと昼寝してから仕事をする。

 今日付けの「琉球新報」が、「性的被害 社会運動でも ほとんど泣き寝入り」と題した記事を書いていた。被害者が匿名で告発していた。ぼくが先日、紹介した喜納えりかさんのメッセージとかぶる。「男社会化」した運動の内側では性暴力は横行しまくってるという事実は喜納さん以外からも聞いていた。

 記事から抜粋すると、

被害に遇った女性は、これまで見過ごされてきた社会運動の場での性差別や性暴力への対応は急務だと訴える。「ほとんどの被害者は「運動をつぶしたくない」と口をつぐみ、泣き寝入りを強いられている。運動隊は「分断につながる」と言って、口をつぐませていると指摘。あらゆる運動体の意識改革を求めている。

と結んでいる。運動体内では性暴力についての勉強会をひらき、加害者とされる男性は酔って覚えていないことも書かれている。

 被害者含め、記事ではすべて匿名だが、ぼくはこの「社会運動」がどこなのか知っている。その運動体自体に関わっている女性がSNSでさかんにこの事実について批判をしていたからだ。彼女は正しいと思った。だから、メディアの人間もとうぜん知っていたはずで、ようやく記事になったかと思った。

 沖縄の「反戦運動」の象徴の一つである「そこ」は多くのメディアに取り上げられた。映像作品にもなっているから、とうぜん国家の横暴と闘う「社会運動」の姿が印象に残る。イデオロギーは関係なく、個人の尊厳を押しつぶしたことを社会運動の「大義」で隠そうとする体質は共感を得られようはずがないと思うのだが。

 

9月29日 [WED]

 午前中、那覇空港へ。復路は黒田卓也さんのアルバム「ライジング・サン」を聴いていた。羽田空港に着いてメールを見ると、ある単行本の企画が通ったという、某出版社の編集者からだった。がんばらねば。

 

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

*次回もお楽しみに!