観光名所がいたるところにあふれているイタリアには、イタリア人でさえ「知らない」、「聞いたことはあるけど行ったことはない」というスポットがたくさんある。その中には、外国人観光客が押し寄せるようになってにわかにイタリアでも脚光を浴びるようになった「逆輸入観光スポット」のような場所もいくつかある。ヴィテルボ県に属する「チヴィタ・ディ・バーニョレージョ」はその代表格で、もともとは「Il paese che muore (死にゆく村)」と呼ばれていたこの丘上の過疎の村は、今ではアジアを中心とする観光客が一年を通じて訪れる人気の観光スポットとなった。きっかけとなったのは宮崎駿監督のアニメ映画『天空の城ラピュタ』。この映画のモデルとなった場所(実際には宮崎監督がロケハンとして訪れ、着想を得た場所の一つらしい)として紹介され、世界中にその名が知れ渡るようになった。

 

 日本の雑誌やテレビ、インターネットでも、荒々しい渓谷にポツンと佇む遠景写真とともに盛んに紹介されている。確かに絶景と呼ぶに相応しい写真なのだが、「ではいったい村の中はどうなっているのか?」という私の疑問を解決してくれる情報がなかなか見つからない。心に疑問が芽生えるとこの目で確かめずにはいられない性分なので、秋の遠足がてらチヴィタ・ディ・バーニョレージョへ行ってみることにした。天空の城の内側では、いったい何が見つかるのだろうか。

 

■一本の橋だけで繋がれた孤高の村

 

 ボルセナ湖とテヴェレ渓谷に挟まれた凝灰岩の谷の中にあるチヴィタ・ディ・バーニョレージョは、今からおよそ2500年前にエトルリア人によって築かれた村である。ウンブリアとラツィオの境には、建築素材として重用されている「トゥーフォ(凝灰岩)」の産地が広がっているが、チヴィタ・ディ・バーニョレージョもそのエリアにある。渓谷の高台には古来より多くの集落が作られてきたが、この凝灰岩は風雨や地震など自然災害による侵食を受けやすく、長い歴史の中で徐々に崩壊していった。周囲の凝灰岩の大地が侵食と地滑りによって削られた結果、チヴィタ・ディ・バーニョレージョは現在の姿になった。13世紀から18世紀にかけて、村は5回の大きな地震に見舞われ、住民の多くは崩壊を恐れて村を離れていった。特に18世紀に起こった大地震では、隣接するバーニョレージョの村とチヴィタを結んでいた道が断絶したことからほとんどの住民が離村し、村は廃墟となってしまう。それ以来、チヴィタ・ディ・バーニョレージョは「死にゆく村」と呼ばれるようになった。現在の住民の数は16名ほどと記録されている。

 

 凝灰岩の渓谷に佇む村へ入るには、バーニョレージョの陸地から伸びた高低差のある300mの橋を渡らなければならない。橋の手前にチケット売り場があり、ここで5ユーロの「入村料」を払って橋に向かう。中世時代には橋を渡る通行者は「渡橋料金」を払う義務があったが、チヴィタに向かう橋の入り口でチケットを買いながら、なんだか中世の旅人になったような気がしてきた。

 





バス停があるバーニョレージョ市街を抜け、旧フランチェスコ派修道院があるリッチ広場まで歩く。チヴィタへはこの修道院横を入って行く(上)。門を入るとすぐ、大人気撮影ポイントの展望テラスに出る(中)。お馴染みの遠景ショットはこの展望テラスで撮影可(下)



中庭を抜け、階段を降りて公道を下るとチケット売り場がある(上)。橋の入り口でチケットを見せ、いざ「天空の城」へ(下)。