文と写真/藤井誠二 

 

10月15日 [FRI]

 

 名古屋での仕事を終えて早朝の沖縄行きのフライトに備えて、ホテルで早く床についていたところ二時すぎに携帯が鳴った。目を覚まして出てみると、ある地方に住む女性の友人からで、酒と睡眠薬を数十錠飲んで、これから、散歩に出て行き倒れのように死ぬから、あとはよろしくといったことをすでに呂律がまわっていない状態で話された。「その場からはやく119番して」と繰り返したが聞く耳を持ってくれない。どんどん睡眠薬の影響で意識が遠のいていくのが電話越しにわかる。そのうちに応答がなくなったので、そのまま倒れたのだろうと推察した。ぼくはすぐにその友人の地元の警察に連絡して、彼女の住所や携帯、会話の中で出てきた地名などを伝え、特定の地域内を推定して捜索を依頼した。携帯電話のGPS機能を使って居場所を特定してほしいと頼んだが、警察がそれをおこなうのは当該者の家族などからの依頼があったときに限られていて、「友人」だけではおこなえないという。それでパトカー数台と自転車や小型バイクに乗った警察官を動員して朝まで捜索してくれた。一時間おきぐらいに担当の所轄の警察官から電話があり、友人との間柄や職業、友人の生活環境をあれこれ聞かれる。けっきょく見つからなかったが、早朝六時すぎ、救急隊員から電話があり、いま救急車に収容して病院を探しているという。「助かったんですかっ!?」「ええ、川の土手で意識を失って転げ落ちたようで、水には浸かっておらず、石などに頭をぶつけて裂傷などはあって、若干の低体温症と思われますが、命は問題ありません」。ああ、よかった。間に合った。早朝散歩の人が見つけてくれて、通報してくれたようだが、事前に警察に通報してあったからその後の手続きは迅速だった。そのあと、所轄からも電話があり、無事だったことを伝えられた。もし見つからなければ、沖縄行きを変更して、その友人の地元に向かおうと思っていたのだが、ほっと胸をなでおろした。友人の自殺念慮は長年にわたるものだし、ぼくは他の何人かの友人についても同じやり方で保護してもらったことがある。たいがい、友人たちは地元に頼れる友人がいないので ─ぼくとは取材で知り合った─ 電話を受けたぼくは警察に電話をすることになる。ほぼ徹夜状態だったので、飛行機が離陸したとほぼ同時に眠りに落ち、那覇空港に機体が着陸した衝撃で目が覚めた。

 部屋についてしばらくすると、呂律がまわらない友人から電話があった。助けてくれたんだって? ありがとうね。よく何を話したのか覚えてないんですよ─。こんなことを言っていたよ、と説明すると、友人は記憶を少し統合できたようだったが、大半の記憶が欠落していた。大量の睡眠薬を飲んでいるから、これから数日間は絶食だろう。外傷の手当てもある。なるべく早い時期に会いに行く機会をつくろうと思う。

 しばらく横になったあと、普久原朝充さんと合流して晩飯。牧志の「米仙」でセンベロ寿司。緊急自体宣言が開けて、10月1日から営業を始めたのだ。街も人の流れが多い気がする。帰ろうと二人で歩いていたら、ジュンク堂店長の森本浩平店長と、集英社でぼくの『沖縄アンダーグラウンド』の文庫版を担当してくれた田島悠さんが歩いているところに遭遇、栄町の「おとん」に顔を出してごあいさつしたあと、近くの焼売が名物の「ムジルシ」の外のカウンターで飲んでいたら、ずっと以前にうちに遊びにきたこともある写真家で俳優(沖縄のテレビCMでも見かける)久高友昭さん、宝田幸子さんやら天才ラーメン職人の野崎達彦さんなど知ってる面々と久々に邂逅。カウンターは道路側にあるのでどうしても歩道になどにあふれ出てしまう。それぐらい安くて美味い。巡回中の制服警察官にかるく注意をうながされた。帰りに「りうぼう」で食料等を買って帰宅。

 

10月17日 [SAT]

 

 昼まで寝て、昨日、空港で買っておいた弁当をあたためて食べる。ずっと仕事。文通している長期懲役囚からの手紙に長い返事を書く。

 入院した友人と今後のことなどについて電話で話す。なんとか生きていく気力を少しでも取り戻してほしい。元気いっぱいになってほしいとは思わない。ぼく自身、十数年前にパニック障害を患ってから、今日は体調がいい! と叫びたくなった日は一日もない。ぼくも基本的には身心状態は低空飛行のまま生活している。そのなかで精一杯仕事をこなし、眠れない夜をなんとか埋め、明日を迎える。基本的にその繰り返し。まあ、それでいいかなと諦観している。今日はどこかへ飲みに行く気も起こらず。

 

10月18日 [MON]

 昼前に起き出して自炊。冷蔵庫にある野菜類などを炒めて、それをおかずに素麺を食べる。夕刻までずっと仕事。さがしていた資料がどこの古書店に問い合わせても、シリーズもののその巻だけがない。図書館に行くしかないと思っていたが、ふと見ると分厚いそいつが本棚に。領収書が入っていた。思い出した。移転する前の「ちはや書房」で取り置きしてもらい、購入していたのだった。手に入りにくい官製資料だし、いつか使うこともあるだろうとその希少本に大枚をはたいたんだった。うれしさと同時に、最近資料本の二度買いがたびたびあるので、そのたびにかるく落ち込んでいる。

 夕刻に半年ぶりにのれんを出した泊の「串豚」で、沖縄生まれ育ちの女性と、関西から移住して長い男性と待ち合わせて、久々の串を打ったホルモン。美味い。「ジョノベーゼ」というメニューがあったので、聞けば、「コロナ休業中に家でパセリを栽培して、それをペーストにしたんですよ」、と瓶に入ったそれを主の喜屋武満さんが見せてくれた。スパゲティに絡め、小鉢に盛る一品。素朴で美味しかった。ふたりの家が栄町方面なのでいっしょにタクシーで向かう。モノレール安里駅のすぐ下にあった沖縄そば屋台 ─いまは移転してしまったらしい─ の跡は「りうぼう」の駐車場が拡張したかたちになっていて、跡形もなくなっていた。となりの拝所だけはそのまま。そこにキジトラの子がいた。たぶん人間に世話してもらっているのだろう。人なつっこくて嫌がらずに抱っこまでさせてくれた。あのあたりがテリトリーだと思われるので、ふたを開けたプラスチック容器の猫の餌を買って、拝所に供えるようにして置いてきた。