モンテビデオに着いて3日目だったかに、シルビアと再会した。
シルビアは、留学生として来日し、この一年ほど前まで早稲田大学で学んでいた日系ウルグアイ人(詳しくはvol.1、vol.3 をどうぞ)だ。
「あ〜、さとうサン〜、元気でしたかぁ? ウルグアイ、遠かったですね。疲れませんか。大丈夫ですか」
もともと、それほど流暢な日本語を話すわけではなかったけれど、およそ一年ぶりに会った彼女の日本語は、心なしか、以前よりもアヤシくなっていたような。
「私、日本語、忘れそう。言葉、使わないと全然ダメね」
私の洞察(?)に気づいてかどうか、こう言って苦笑いしたシルビアは、家でもスペイン語を話す環境で育った日系2世。お父さんは熊本県出身、お母さんは沖縄県出身で、それぞれが、ブラジルだったか、ウルグアイ以外の中南米の国で知り合い、結婚してからウルグアイに移り住んだらしい。
子どもたちを、ほぼほぼスペイン語のみの環境で育てる。そこには、「生涯この国で生きていく」という強い覚悟があったように思う。子どもたちにも、ウルグアイ人として、この地にしっかりと根を張って生きて欲しかったのかなぁ、と。
実際、シルビアは、自分のルーツである日本に留学したものの、「祖国が好き」という理由で卒業後は迷わず帰国したみたいだし、彼女のお兄さんはウルグアイの外務省に勤める国家公務員だ(当時は外交官としてイギリスに赴任中だった)。
お兄さんはどうだか知らないけれど、シルビアは、「お母さんが沖縄の人」と聞いて納得できる濃い顔立ちの、どこからどう見ても〝日本人〟(と思うこと自体、島国的感覚なのだろうが)。にもかかわらず、普通にスペイン語を話して、英語も自在に操り、日本語もまずまず、というトリリンガル。バッグボーンも含めて、「なんとグローバルなことよ!」と、私などは羨ましくもある。
だけど、シルビアは言う。
「日本にいたときは、〝この人、日本人の顔をしているのに、どうして日本語が下手なの?〟と不思議そうな顔をされることがしょっちゅうでした。だけど、ウルグアイでは、〝あなた、スペイン語が上手ね〜〟と感心されることがある。私はウルグアイ人、スペイン語は母国語なんだから当たり前なのに……」
自己のアイデンティティはどこにあるのか。自分は何者なのか。悩んだこともあるという。
日本の地方で、いわゆるフツーの家庭に生まれて、自分が日本人であることさえ意識せずにぼんやり育ち、成人してから海外に出かけるようになって初めて、日本人としての自分のアイデンティティについて考えるようになった私からしてみれば、シルビアの苦悩はとても高尚なものに思えたりもするけれど。
しかし、これからの時代はどうなのだろう。
グローバル化が加速して、シルビアのようなバッグボーンの人は珍しくなくなり、彼女のような苦悩を抱える人はいなくなるのだろうか。それとも、どんな時代にあっても、人はやっぱり帰属意識を持ちたがって、帰属する場所を探して悩んだりするものなのだろうか。
シルビアの言葉に、いろいろなことを考えさせられてしまう。
