文と写真/室橋裕和
韓国から日本へ、船で渡る。陸の国境はないが、日本でも海路の国境越えはできるのだ。釜山からわずか1時間、長崎・対馬には、両国の友好と対立とが交じり合っていた。まさに国境の島だった。
※この記事は2016年6月初出のものです。
釜山発対馬行きジェットフェリー「シーフラワー」
初夏の釜山で、ぽっかりと時間ができてしまったのだ。
連れのカメラマンと一緒に、どこに行こうかと考えたとき、玄界灘を挟んだ先にある島が思いついた。長崎県の対馬である。釜山と対馬の間にはフェリーが就航しており、わずか1時間で日本に渡ることができる。 日本にも、国境はある。我々は対馬行きジェットフェリー「シーフラワー」に乗り込んだ。

実のところ、僕にとっては5年ぶりの日本帰国だった。
週刊誌での激務に疲れ果ててタイに逃亡した僕は、首都バンコクで日本語情報誌を制作するという仕事にありついた。観光客や出張者を含めれば常時10万人の日本人が滞在しているというタイでは、「在住日本人向けメディア」という商売が成り立つのだ。
ところが、給料は安い上に平気で遅配するし、取材費も渋るブラック企業であったのだ。社長は雑誌の儲けをなにやら怪しげなビジネスに投じ、我々に還元されることはほとんどなかった。「ワーパミ(労働許可証。ワークパーミット)を取ってやるだけありがたいと思え」と嘯く先輩もいた。
それでもタイを中心にアジア各国をカメラマンやライターたちと旅して回り、取材して記事を書くという仕事はなかなかに楽しかった。そんな日々を忙しく過ごしていたことと、薄給に加えて重度のケチであるため日本に帰国するのは金が惜しく、5年間も躊躇していたのである。
そこにきての韓国取材というタイミング。ちょうどいいと思った。長年、海外に暮らし続けるというのは、どこか潜水に似ている。どれだけ深く、長く潜れるようになれても、必ず息継ぎは必要だ。そろそろ母国の空気を吸おうと思った。


小雨の降るなか、釜山の国際フェリーターミナルに行ってみれば、乗客のすべてが韓国人のようだった。船全体が免税ゾーンとなっているようで、日本のビールがずいぶんと安い。
ヨッコラショと席についてみれば、座席の背もたれカバーには「独島は我が領土」というプロパガンダが……。全座席にズラーッと韓国旗の翻る島の写真が並ぶ光景に面食らう。がぜん「国境感」が昂ぶる。ここは領土紛争を抱えた海でもあるのだ。
とはいえ我が日本と韓国はいちおう友好国であり、このフェリーは両国を結ぶ国際航路だ。そこにいきなりの「ドクトはウリナラ」である。政治的主張をしたい気持ちはわからなくもないが、お互いの玄関口なのだから、タテマエだけでもフレンドリーにしたほうがいいと思うのだ。これほどにウェルカムではない国境越えははじめてのことである。
