文と写真/室橋裕和

 

タイカンボジアの間には、国境線に建つ遺跡がいくつかある。そのひとつカオ・プラ・ウィハーンの帰属を争い両国の間には紛争が起きた。しかし一方で、双方の軍隊によって共同管理され、平和に維持されている国境遺跡もあるのだ。

 

■クメール帝国の国境遺跡

 それは僕がバンコクで日本語の情報誌をつくっているときのことだった。

 タイとカンボジアが、国境未画定地域の山頂に立つ遺跡カオ・プラ・ウィハーンを巡ってドンパチをはじめたのである。

 タイとカンボジアの国境地帯は、山の稜線が続く場所などではアイマイなまま放置されてきた。カンボジアのタイ国境沿いが、ポルポト派の拠点となっていて、うかつに手が出せなかったということもある。しかし和平の進展とポルポト派の壊滅によって、カオ・プラ・ウィハーンがクローズアップされてきたのだ。観光収入に結びつくからである。

 

 なんとか行きたい。しかし現実的には軍によって封鎖され、周囲の村からは数万の人々が疎開をし、けっこうガチでやりあっている。これはちょっと無理かな、とあきらめかけていたある日、

 「実はほかにも国境遺跡ってあるんだぜ」

 と話を持ちかけてきたのは業界の先輩S氏。タイに25年も住んでいるベテランのジャーナリストであり、タイ政府や軍の内部情報からエッチなお店の最新ネタまで、ずいぶんとお世話になっている。

 「カオプラは軍が押さえていて入れない。それにどこのマスコミもカオプラでの衝突ばかりで変化がないでしょ。ほかの『国境遺跡』は、両方の軍が共同で管理していて友達づきあいしているらしい。そこを取材すりゃお前、日本の新聞や雑誌に高く売れるってモンよ」

 S氏が解説をカマす。かつてインドシナ半島を支配したクメール帝国。アンコールワットの壮大さに示されている通り、カンボジアがその歴史上、最もイケてた時代である。

 

 ローマ帝国や織田信長のように、クメールの王たちも力を入れたのは広大な領土をカバーする街道の開発であった。「王道」と呼ばれたその道の要所要所に、クメール様式の寺院であるとか、旅籠、療養所などをつくっていった。こうした遺跡はいまもタイやベトナムなど、カンボジアだけでなく周辺国にもたくさん残っている。見晴らしのいい峠や山頂には、監視をしたり、あるいは祭祀のために、とりわけ立派な寺院や関連施設が建立される。そのひとつがカオ・プラ・ウィハーンである。

 で、時代が移り変わりクメール帝国は縮小していったが、遺跡は残された。タイとカンボジアの間にはおおよそとはいえ国境線が策定される。国境というのは古今東西、河や山の稜線が定められるものだ。だから峠に建てられた遺跡のうちいくつかは、まさに国境線上に位置することになる。そして所属がはっきりしないまま現在に至る……。

 

 と、いうわけで我々はS先輩の駆るピックアップトラックに乗って、バンコクからスリン県を目指して出発した。

 

タイ中部に残されたピマーイ遺跡も、クメール帝国が11世紀に建てたものだ

 象祭りで知られたスリン県だがほかに目立った観光資源はなく、あえて挙げるとすればすべてクメール遺跡なのである。アンコールワットだけでは飽き足らない遺跡マニアがたまにやってくる程度で、象祭り以外でこの県に足を運ぶ日本人はとっても少ない。

 そんなスリン県の南部、国道224号線はカンボジア国境に沿って走るタイ最果ての道。ピックアップを飛び降りてジャングルに駆け出しカンボジアに乱入したい衝動に駆られる。

 

 この道からさらに2407号線に入り、南下していく。道に沿って現れるのは、クメールの壮大な伽藍だ。タ・ムアン遺跡、タ・ムアン・トット遺跡。これらもやはり古代クメールが築いた王道上の宿駅や病院だという。2407号線は王道の名残りなのである。

 この2407号線は、やがて舗装が途切れ、行き止まりとなる。もう目の前はカンボジアだ。その果てにそびえているのは、国境未画定地帯の遺跡タ・ムアン・トムだ。

 

11世紀に建造されたタ・ムアン・トム。アンコールワットよりも古い