文と写真・室橋裕和

 

タイカンボジア国境となっている峰に建つ世界遺産・カオプラヴィハーン。帰属を巡って激しい戦闘が行われた直後、我々は問題の遺跡に突撃した。

 

■国際紛争の最前線、世界遺産カオプラヴィハーンク

 「カオプラヴィハーンに行けるらしいぞ!」

 業界の先輩S氏から連絡があったのは、手がけていた情報誌の入稿が押し迫ったある日のこと。お互いにバンコクを拠点とする日本人記者として働いていた僕たちは、ときどき媒体の垣根を越えてタイの辺境をともにうろつきまわり、ついでに夜の街を探検することを趣味としていた。

 次はどこに行こうかと相談していたのだが、どこぞの筋からタイとカンボジアの国境紛争の舞台になっているカオプラヴィハーン遺跡がこっそりと「開放」されているとネタをつかんできたらしい。時あたかも遺跡を巡ってカンボジアが国際司法裁判所に訴え出たばかり。アセアン議長国のインドネシアが「まあまあ」と双方をなだめ、とりあえずドンパチが一時的に収束したタイミングだった。

 「で、遺跡はカンボジア軍が押さえている。カンボジアとしては『オレたちの遺跡』をアピールするため、旅行者だろうと記者だろうと外国人には積極的に公開しているらしい」

 とS先輩。国際紛争の最前線である。多くの死者も出ている。僕はブルった。しかしそれ以上に、いま揺れ動いている国境の姿を見たかった。

 

カンボジアの入国カードにはプレアヴィヒア(カオプラヴィハーンのクメール語名)のイラストが

 出発点はアンコールワット観光の拠点となる街シェムリアップだ。屋台の売り子のお姉ちゃんをしきりに盗撮しているS先輩をせかして、旅行会社に向かう。プレアヴィヒアまでの公共交通機関はない。車をチャーターする必要があった。危ないからと断られたり、足元を見られて法外な料金を提示されたりしたが、何軒目かの会社で乗用車+運転手に危険手当もつけて140ドルということで折り合いがついた。

 シェムリアップの街を離れ、バンテアイ・スレイやベンメリアなどの遺跡群を過ぎると、道中は果てない大平原が広がっていた。この向こうで紛争が行なわれているとは思えないのどかさである。
 アンロンベンの街で東に折れ、両国の国境の峰となっているダンレック山脈に沿って走っていくと、いよいよプレアヴィヒアに向かう道に入っていく。この紛争に対応するために軍が造成したという真新しく立派な道路だ。ちらほらと集落もあったが、疎開しているようで人の姿はない。無人の野を駆けていくと、軍の検問でストップをかけられた。

 10台ほどのAPC(装甲兵員輸送車)が停車しており、鋭い目つきをした兵士が慌しく行き来する軍事基地である。本当に戦っているんだ……いまさらながら実感を覚える。この様子では遺跡なんか行ったらアブないのではないか。これまたいまさら常識的な感慨が沸いてくる。しかし僕たちのパスポートを手に戻ってきた担当の兵士は「行ってよし!」とプレアヴィヒアへの訪問を許可してくれるのであった。パスポートに添えられた許可証が赤紙のように感じられた。

 

訪問許可をくれた基地にはカンボジア国旗のほか、世界遺産のユネスコ旗と紛争調停国インドネシアの旗も

 プレアヴィヒアのそびえ立つ山の麓で、僕たちは車を乗り捨てた。ここから先はジープかバイクでないと走れない。山を丸ごと掘っていくかのような、大規模な土木工事が行なわれているのだ。遺跡まで行く道路をつくっているのである。

 かつてプレアヴィヒアは、タイ側からしかアクセスできなかった。カンボジアの国力があまりに貧弱で、地方の道路インフラの整備にまで手が回っていなかったのだ。これを見たタイは遺跡の観光地化を進めた。観光客をタイ側からどんどん送り込んで、実効支配をアピールしたのだ。

 しかし今度はカンボジアのターンであった。紛争によって軍事的に遺跡を占領するや、一気呵成に道路をつくっていったのだ。領有を主張していながら、行く手段がない。これは国際司法裁判所でも問題視されたし、独立国家としてはやや情けない。そこで今度こそはと山を削り、ジャングルを開拓し、日本製のユンボやショベルを大量に投入して、標高625メートルの山頂まで道路を造成している。その真っ只中に僕たちはやってきたのだった。

 工事現場をジープで走破し、山腹に築かれた軍事要塞にたどりつく。「ようこそプレアヴィヒアへ!」

 筋骨隆々のゴツい兵士が歓迎してくれた。遺跡そのものがカンボジア軍の基地と一体化しているのだ。血と汗にまみれた男の世界……と思いきや、女子供もわらわらいるのが恐ろしい。兵士たちの家族である。彼らの住まう粗末なバラックも点在している。戦場だろうと家族で暮らすのが、インドシナ戦争の頃から変わらないスタイルだ。

 

カンボジア兵のエスコートで遺跡を歩いていく

戦意を煽る看板などがあちこちにあった