文と写真/室橋裕和
インド最北、中国領が間近に迫るヒマラヤの国境地帯。そこには極限ともいえる苛酷な自然環境の中、チベット系の人々がたくましく暮らしていた。
我がパスポートの貴重な刻印コレクション
パスポートに、とうとう10年の期限が迫ってきた。苦楽をともにしてきた我が分身を繰ってみれば、わずかなスペースを残して、ほぼすべてのページが埋まっている。当然のことではあるが、ひとつのパスポートにつき一度だけ許された、40ページの増ページ分もすべて含めて、だ。さまざまな国への出入国を記した足跡の数々。感慨深い。
これら旅の記録の中でもとくに勲章たるもの……トウシロはやれマイナー国のビザだとか、旅行者の少ない出入国地点のスタンプなんぞを自慢するのだが、そんなものは甘い。
まず挙げられるのはタイで労働許可を得ているという証明印。これはイミグレーションではなくタイ労働局でゲットするもので、ただ旅をしているだけでは手に入らない逸品だ。
そしてインドの特殊な訪問許可証である。政治的にナーバスな問題を抱える国境地帯を旅する場合、インドではビザのほかに「インナーライン・パーミット」というものの取得が義務づけられている。これはインド大使館や、現地の行政事務所などで申請するものだが、国境を接する隣国や、インド国内で暗躍するゲリラの動き次第では発給が停止されてしまう。不安定なレアものなのだ。
我がパスポートに刻印されたインナーライン・パーミットは、第5回で紹介したシッキムのほか、アンダマン諸島、ラダック、そしてスピティの4つ。7つ集めるとインド亜大陸を統べるシヴァ神を召還でき、どんな願いでも叶えてくれるという伝説が旅行者の間で語られているが、あまりに難易度が高いため誰も達成したものはおらず、未確認である。

これらインナーライン・パーミット必要地域の中でも、最も辺境感にあふれていたのがスピティであった。
グーグルマップを見てみる。首都デリーからはるか北、ヒマーチャル・プラデーシュ州にあるスピティ地方は、チベット文化圏の一角をなす。本家チベットの文化が中国の弾圧によって失われてしまいつつあるいま、昔ながらのチベットを色濃く残す地域であるらしい。
ホホウ……さらに拡大していけば、ヒマラヤ山中を走るスピティただひとつの幹線道路は、中国領チベットとの境界ギリギリを走っているではないか。しかも、あろうことか両国の国境未画定地帯と思われるエリアに、道路は一部で入り込んでいる。僕は息を呑んだ。中国に言わせれば領土侵犯かもしれない。ヒマラヤ最奥の係争地帯をゆく辺境道路……これは行かねばなるまい。
