「ここから先は地雷原だ」荒野に現れるドクロ看板

 ケツはともかく、気がまったく休まらないまま旅がリスタートする。相も変らぬ砂嵐に耐えて後部座席にしがみついていると、スッと行き過ぎる赤い看板。血の気が引く。思わず振り返る。砂煙の中に消えた看板は間違いなく、地雷の所在を示すドクロマークであった。

 

 「ここから先は地雷原だ。気をつけろ。投げ出されたら死ぬぞ!」
 シム君が叫ぶ。荒野の狭い一本道の左右、次から次へとドクロ看板が現れる。どこもかしこも地雷原だ。

 戦慄していると、ひときわ大きなトラックが前方から砂煙を伴って突進してくるではないか。車体は明らかに路肩までハミ出し、どう見たって我がバイクに遠慮する雰囲気は微塵もない。

 これを見たシム君がハンドルを切る。路肩からさらに、真紅の看板群が踊る木立の中にバキバキと入っていく。

 「こらあ、やめろやめろ! 死ぬ死ぬ死ぬ!」
 シム君の後頭部をぽかぽか叩いて抗議する。トラックが通過すると、あたり一面は竜巻に巻き込まれたかのような砂の暴風に包まれた。バイクはバランスを崩し、僕たちは地雷原に投げ出された。一瞬、走馬灯が脳裏をよぎったが、地雷に接触しなかったのは幸運というほかない。

 

悪夢のように続く地雷原。カンボジア全土で地雷の撤去は進んだが、パイリン周辺にはまだまだ多い

「農作業や林業の際には地雷に気をつけましょう」

 ふしぎだったのは、地雷の荒野の真っ只中にぽつぽつと集落があることだった。休憩のときにシム君に聞いてみると、彼は言いにくそうに口を開いた。

 「彼らはポルポト派の残党と、その家族だ。ほかの土地では受け入れてもらえない。パイリンの街もポルポト派が多いが、あっちは幹部が中心。末端の兵はここで生きるしかない」

 あたり一面の地雷原と、藪しか生えない赤黒い大地。電気も、水道もない。井戸水は水質汚染されているという。まともに仕事はないから近隣の林から竹を伐採して売り、暮らしている。しかし林もまた地雷原だ。ポルポト派が政府軍からパイリンを守るために設置した地雷で、負傷し、命を落とす元ポルポト派兵士たち。なんという因果なのだろうか。

 日が暮れる頃、ようやくパイリンの寂れた街が見えてきた。宿に着いたときには、髪の毛はスーパーサイヤ人のように逆立って白茶け、荷物は中身まで砂まみれ、咳をすれば砂埃が混じっていた。これほどのハードなバイク旅行もはじめてだった。

 

この暮らしがポルポトに与した者に与えられる罰として重いのか軽いのか、僕にはわからない

 パイリンは暗く沈みこんだ街だった。活気がなく、重苦しい。荒れた市場が街の中心になっていたが、なにかこう、灰色に満ちているような静けさと暗さだった。

 そんな砂にまみれた街にナゼか走っているリムジンの前後を護衛しているのは警察のバイクだった。イエン・サリの関係者なのだろう。宝石をはじめとした数々の利権はいまでも健在であるようだった。

 翌日……再びシム君のバイクで、僕はタイ国境に向かった。ここもタイ=カンボジア国境らしくカジノが建ってはいたが、やはり埃にまみれ客はほとんどいなかった。

 ほとんど通行人のいないイミグレーションを通過してタイに抜けると、悪夢から覚めたかのように、青く晴れ渡った明るい空が広がり、道路は美しく舗装され、活気のある市場が出迎えてくれた。長い潜水を終えて海面に出たような気分だった。

 いまではパイリンもだいぶ発展をして、見違えるように明るく活気が出てきた。地雷の撤去も進んでいる、だがカンボジアの経済発展からはだいぶ取り残されてしまっている。タイとの国境貿易がもっと盛んになれば、様子もさらに変わってくるかもしれない。

当時のパイリンは暗い雰囲気の街だった。夜は明かりがほとんどなかった

カンボジア側のイミグレーション。あのゲートの向こうがタイだ

 

【越えて国境、迷ってアジア vol.25】(2017.3.22)

 

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もはや移民大国。激変を続ける「日本の中の外国」の今を切りとる、異文化ルポ。竹ノ塚リトル・マニラ、ヤシオスタン、大和市いちょう団地、茗荷谷シーク寺院、東京ジャーミィ、西川口中国人コミュニティ、そして新大久保ほか。2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にも