文と写真・室橋裕和

 

ラオス首都ビエンチャンを北におよそ70キロ。そこには懐かしさを感じる昔ながらの村があり、豊かな自然に囲まれた生活を送っていた。そんな村の一角で、日本とラオス、はじめての合作映画のロケが行なわれていたのだ。

■日本・ラオス初の合作映画のロケ現場に向かう

 通い慣れた国境である。

 タイのイミグレーションを抜けると、そこに待っているのは古びたバスだ。だが週末だからか、すでに行列となっていた。とても座れそうにない。次のバスを待ってもよかったが、僕は強引に入り込み、タラップに陣取った。

 発車するとすぐに、道は緩やかな坂になる。橋を上っているのだ。やがてバスの左右に、茶褐色の巨大な流れが見えてくる。乗客の誰もが手を止め、スマホに落としていた目を上げて、そのメコン河を見つめる。一瞬、車内の気持ちに一体感が生まれると、バスは国境線を越えてラオスへと入っていった。

 ラオス側で入国スタンプをいただいて窓口を出ると、すぐにタクシーやトゥクトゥクの運転手たちが寄ってくる。「ビエンチャン?」

 しかし今日の僕の目的地は首都ではなかった。

「タラートに行きたいんだ」

 ビエンチャン北郊の小さな町の名を告げると、トゥクトゥクのおじさんは満面の笑みで答えた。

「それなら北バスターミナルだな。15万キープ(約2500円)にまけておいてやろう」

 だいぶボラれているような気もした。ゲストハウス1泊分並みのお金を払うことに悩んだが、ほかに選択肢はなさそうだ。

 

タイ・ノンカイから、ラオス・ビエンチャンへ。メコン河にかかる第一友好橋を越えていく

■国道13号線を北上し、ローカルな町へ

 1時間近くも走ったから、距離を考えれば料金は妥当だったのかもしれない。到着したターミナルはおんぼろで、がらんとしており、活気はない。やる気をぜんぜん感じない、いかにも田舎のバスターミナルではあったが、昨今の交通インフラの発展はたいしたもので、こんなところにもピッカピカのミニバンが停まっているのだった。東南アジアではバス代わりに、このバンがかなり奥地まで走るようになっている。

 座席を1列多く詰め込んであり、補助席含めて15席程度の座席が客で埋まると出発となる。はっきりと時間が決まっていないからじりじりと待つ苛立ちはあっても、結果としてバスより頻発している感じがする。そして、バスよりもはるかに飛ばすのだ。

 僕が乗り込んだタラート行きの運転手は、交通量の多い国道13号線をなにかに取り憑かれたかのごとく爆走した。ほかのバスや乗用車やバイクを、アクセルベタ踏みのまま右に左によけて抜いていく。遅いトラックと見るや、対抗車線に侵入して強引に抜かそうとする。そこへ、前方から対向車が突っ込んでくる。戦慄するが、かすめるようにお互いすれ違っていくから、腕はいいのかもしれない。

 しかし、しばらく走るとスピードががくんと落ちたのだ。13号線の要衝のひとつポーンホーンの町で乗客の大半が降り、そこから東に伸びる支線に入ると、道は未舗装のダートになった。煙幕のように舞い上がる土埃が、バンを包み込む。ラオスもインフラ開発が進んだとはいえ、地方に行けばまだこんなところは多い。

 田んぼや畑や、ささやかな村が広がる、のんきな景色の中を30分ほど走っただろうか。バンは砂煙が漂う荒野のような広場で停まった。運転手が振り返る。「タラートだぜ」

 降りてみると、広場のまわりに木造の古びた商店や家屋がいくつか並ぶ、小さな村だった。素朴な家並みだ。巻きスカートをまとった農村系女子が歩いていく。はなたれの子供たちが僕のことをふしぎそうに見つめてくる。空は高い。そして静かだった。ビエンチャンとはまったく違う世界がそこにはあった。きっと昔のラオスはどこも、こんな感じだったのだろう。

 

舗装もないタラートの町。歩く人もまばら。なおラオス語やタイ語で「タラート」は市場を意味するが、この町の場合は発音がやや違う

子供たちの学校の制服も巻きスカート。ラオスの民族衣装なのだ