文と写真/室橋裕和

 

マラッカ海峡を越える。その航路は、アジアを旅する者にとってはひとつの憧れである。出発地となるマレーシア西岸の街マラッカはまた、かの名著『深夜特急』の舞台のひとつだ。僕は聖地巡礼さながら、物語のさまざまな場面を思い浮かべて街を歩いた。

 

■マラッカ海峡の大きく、赤い夕陽

 僕は高空から海を見下ろしていた。およそ100メートルの高さから望むと、海の彼方にはぼんやりと陸地が見える。あちら側はインドネシア・スマトラ島だ。こちら側のマレーシア・マラッカとの間に広がるマラッカ海峡に、僕は特別な思いを抱いていた。

 旅人のバイブルとして名高い沢木耕太郎著『深夜特急』には、「マラッカ海峡の夕陽はとてつもなく大きく赤い」との記述があるのだ。その夕陽を見るために、彼はここマラッカの街を訪れている。僕も一度、この海峡を見渡したかった。

 

 しかし『深夜特急』の時代とは違い、マラッカの街は近代的に発展し、高層ビルやショッピングモールが立ち並び、海峡には埋立地が張り出し、海を見晴らせる場所は市内中心部には見当たらなかった。沢木氏は、海岸に沿って広がるサッカー場から堤防に出て巨大な夕陽と対面しているが、僕はムラナ・タミンサリに上った。通称「マラッカ・タワー」と呼ばれる展望台で、巨大な回転式の展望キャビンが地上から一気に上昇する遊園地のような施設だ。あいにくの天気で「とてつもなく大きく赤い夕陽」は残念ながら見えなかったが、それでも念願のマラッカ海峡をこの目で見たという喜びはやはり大きかった。

 しかし……このタワーにはよけいなサービスがついていたのだ。キャビンへと乗り降りする場所にこっそりカメラが仕かけられており、客を撮影しているのである。で、タワーが上昇し眺めを楽しんでいる10分ほどの間に、写真をどーんと引き伸ばして20センチ四方ほどのパネルにし、希望者にプレゼントするのである。その写真が出口にでかでかと展示されているのである。

 「わあ、パパこれほしい!」

 と楽しげにパネルを見てはしゃいでいるのはマレー人やインド系の子供たちだ。そりゃあ家族連れはよかろうよ。思い出になるだろうよ。だが僕は孤独な中年男なのである。そんなもん、いらないよね……パネルコーナーをスルーしようとしたのだが、その中に自らの汚い顔面が大写しになった一枚を発見してしまい、思わず目をそむけた。しかも『深夜特急』に思いを馳せているのか、ひとりでニヤニヤしているではないか。こんなものが世間に晒されている……自らの指名手配写真を見ているような気分になり、いたたまれなくなってその場をあとにしようとすると、

 「あっ、あなたパネルいらないの? よく映ってるわよ!」

 お節介な係員のおばさんがパネルを指差して大声で呼ばわるのだ。

 「タワーの入場料金に含まれているんだから、ほら!」

 家族連れの視線が痛い。沢木さん助けてください……僕はおばさんの声を振りきり、早足でタワーを後にするのだった。

 

マラッカ・タワーから望むマラッカ海峡。水平線の彼方に見えるのはインドネシアのスマトラ島だ