文と写真・室橋裕和

とうとうビザ不要となったミャンマー(2013年8月)。これで東南アジアはほとんどビザなしで旅できるようになった。さらにインドルートも開いたという情報もあり、このエリアが(ごく一部マニアの間で)にわかに注目を集めはじめている。そんなインド・ミャンマー国境地帯でも、とりわけ奥地に潜行したときの記録である。

 

インドとミャンマーにまたがる村

 東アジアからインドシナ半島まで(北朝鮮をのぞいて)陸路でノービザ一気通貫できるようになった。そしてどうも、ミャンマーとインドの国境も国際化し、外国人の通行もできるようなのだ。

(参照:NNA ASIA https://www.nna.jp/news/show/1798835

 本連載#27で突撃した国境が、正式に両国の大動脈として動き出しそうな気配がある。ここはまた行かねばなるまい。

 で、今回の国境はそのポイントからさらに北。僕はもうひとつ、インドとミャンマーの国境を訪れている。

 いや、国境と呼んでいいのだろうか。

 そこに境い目はなかったのだ。山の稜線がいちおう両国の国境線と定められているのだが、柵やバリケードがあるわけでもなくイミグレーションもない。山頂の村はどちらの国の領土にも広がっており、人々はミャンマーもインドもなく行き来していたのだ。国境の管理は、ほぼ行われていなかった。国境というものが成立する近代以前の姿をいまにとどめる、きわめて貴重かつマニアックな場所であった。

 訪問したのは2011年とだいぶ前のことになるが、いまでも状況はあまり変わっていないようなので、ここに紹介しよう。

 

伝説の「7人の妹たち」

 きっかけはインド在住の知人であり旅マニアからのタレコミだった。

>>セブンシスターズが開いたぞ!

 そのメールを見た瞬間、僕は震えた。武者震いであった。ついに禁断の扉が開く……。

 セブンシスターズとはインド東北部、三角形のように張り出しているエリアのことだ。ミャンマー、バングラデシュ、ブータン、中国に囲まれたトライアングルには、7つの州が固まっている。しかし長年、一部を除いて外国人には閉ざされてきたのだ。紛争やテロが絶えなかったからである。

 ナゼ武装闘争が行われていたのか。インド中央政府に組み入れられたくなかったからだ。それはどうしてか。セブンシスターズに住んでいる人々が、我々日本人にもよく似た顔立ちの、モンゴロイドであるからだ。

 セブンシスターズは人種の境界だ。ヨーロッパから中東、インドにかけて分布するコーカソイド。東南アジアから東アジアに広がる我らがモンゴロイド。ここは東西に分かたれている両者が、せめぎあっている場所のひとつである。

 異なるのは顔立ちだけではない。生活習慣も宗教も文化も言葉も違う。そんな7州の人々に、お前らもインド人だと言ったって無理がある。しかしイギリス支配を経て、このあたり一帯はインドに編入されてしまう。

 そして中央は、圧倒的な少数派であるモンゴロイドを弾圧した。そもそも諸州を「7人の妹」と呼ぶ時点で、すでに下に見ているのだ。

 両者はゆずらなかった。こうして紛争が続いてきた。インド政府は外国人の立ち入りを厳しく制限した。

 だから我々旅行者は、ミャンマーからインドへと陸路で抜けることができなかったのだ。ユーラシアを横断するときの最大障壁だった。

 旅を阻む厚い壁というだけではない。日本人と同じモンゴロイドといっても、どんな人々が住んでいるのか。伝わってくるのはインド政府の特別な許可を得て入域に成功した民俗学の研究者が書いた断片的な話くらいで、ナゾに包まれていた。だからこそ多くの旅行者が憧れた。伝説のラピュタに恋焦がれるようなものである。

 

 しかし時代は移り変わる。

 少数派ゲリラは国軍に押され、また妹たちには多額の国費をつぎこんで懐柔もし、少しずつ治安は良化していった。そして次は観光でテコ入れだ、とばかりに外国人の入域制限をつぎつぎ解いていったのだ。僕の知人はインドでその一報を聞きつけ、すかさずメールをくれたというわけだ。

 

旅の出発点グワハティの駅前。ごく普通のインドという感じ