どこに行っても外国人は大注目

 翌朝5時。興奮のため速攻で目が覚めてしまった僕は、まだ霧の漂う町に出た。

 辺境の朝は早い。ゲストハウスのそばでは路上がそのまま青空市になっており、すでにけっこう賑わっている。ゴザに野菜やら果物を並べているオバハン、タガメやザリガニなど沢の幸を商っているオバハン、虫売りオバハン……市場の主役はアジアのどこに行っても変わらない。肉屋もあった。早朝から鮮血にまみれた派手な解体ショーをかましている。豚肉が目立つように見えた。

 が、珍しがられているのは僕のほうであった。顔立ちが同じとはいえ風体から外国人ということはわかるようで、スター並みの視線を集めてしまうのである。オバハンたちから声もかかる。つい最近まで外国人ご法度だったのだ。子供たちは僕を指差し目を丸くして大騒ぎである。こんな注目度はバングラデシュの田舎に行ってもなかった。なかなかいい気分じゃないか。

 

ショウガ両手にサービス精神旺盛な野菜売りのおばちゃん。右下はタニシかなにかだろうか

モンはナガランド北部では大きな町のひとつ。ちゃんと電気だってある

インド・ミャンマー国境にまたがる村

 「ロンワに行ってみるかい」

 モン近郊でどこか面白いスポットはないかと訊ねたところ、マダムはそう提案してきた。

 「もうミャンマーが近くてね。古い家もたくさん残っているよ」

 ほほう……。国境マニアとしては見逃せないアクティビティであろう。さっそくマダムにジープを仕立ててもらう。公共の交通はごくわずかな乗り合いジープしかなく、自由に見て回るにはチャーターしかない。
 道中は延々と濃密な緑であった。深いジャングルが続く。霧が立ち込め、ときおり雨がぱらついた。このあたりは世界有数の多雨地帯でもあるのだ。ぬかるんだ道にジープがタイヤを取られたりもする。舗装路なんてない。泥の道を行き来しているのは、やはりナタや銃を手に狩猟に向かう目つきの鋭い男たちと、ひたすらにマキを運ぶ女たち。

 そんなドライブを3時間ほど続けると、山の稜線に沿って拓かれた村に出た。「ロンワだぜ」運転手が言う。

 まるで「日本昔ばなし」の世界じゃないか……。藁葺き屋根の波、漂う煮炊きの煙、竹で編まれた農具やカゴ、豊かな田畑、素朴な顔立ちの人々。例によって赤ん坊を背負った子供たちが走り寄ってくる。きっと日本にも昔、こんな光景が広がっていたに違いない。

 村の中心部を目指して歩いていく。子供たちは全員ぞろぞろとついてくる。気難しそうな爺さんや、ヒマそうな婆さんも行列に加わり、気がついたらパレード状態。実に恥ずかしいのだが、そのうちひとりの青年はカタコトの英語がわかったので聞いてみた。

 「あの、この村ってミャンマー近いんだよね」

 「えっ、ここミャンマーだよ」

 「はっ?」

 「あのあたりの家がインドで、こっちの建物がミャンマーかな。で、あの教会はインドとミャンマー半々。ちょうど境目に立ってる」

 ナガ族の人々は独特のアニミズムを信仰しつつも、イギリス時代の影響でキリスト教徒でもあるのだが、村の教会は国境線上に位置しているというではないか。

 ミャンマーが近いどころではない。この村は両国にまたがって広がっていた。ちょうど稜線が国境といちおう定められているらしい。

 「じゃじゃあ、国境の警備とか管理とか、そういうのどうなってんのさ。みんな好きに出入りしてんの?」

 「それなら、ホレ。あそこにインド軍の基地がある」

 ショボイが確かにインド国軍と看板のかかったバラックがある。

 「で、ミャンマー軍が目の前」

 木造藁葺きナガ伝統家屋の前には、ヒマそうにタバコをふかし、AK47を背負ったミャンマー兵が数人、たむろしているのであった。上官らしきアニキは僕の姿を認めると、流暢な英語で「ようこそミャンマーへ」なんて白い歯を見せる。

 なんという国境なのか。両国の軍隊が顔を合わせて生活をし、共同管理しているのだ。

 インド側でもミャンマー側でも、かつては独立を目指す反政府ゲリラの活動が激しかったこともあり、国境線はあいまいなまま、いまに至っている。どちらも住んでいるのは同じナガ族のため、行き来は黙認されており、イミグレーションというものは存在しない。国境というものが成立する以前、近世の姿をいまに留める極めて貴重な場所なのだ。

 

ナガランドの象徴は赤ん坊を背負った子供たちの姿かもしれないと思った

ロンワ村に駐屯しているミャンマー兵は頼んでもいないのにポージングを決めてくれた

建物の手前がインドで、向こう側がミャンマーにあるのだという教会